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とうどう
ふりがな文庫
“とうどう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
藤堂
50.0%
東道
15.0%
当道
10.0%
嶝道
5.0%
堂洞
5.0%
東堂
5.0%
東洞
5.0%
磴道
5.0%
▼ 他 5 件を表示
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
藤堂
(逆引き)
◎
伊賀
(
いが
)
の
上野
(
うえの
)
は旧
藤堂
(
とうどう
)
侯の領分だが藩政の頃
犯状
(
はんじょう
)
明
(
あきら
)
かならず、
去迚
(
さりとて
)
放還
(
ほうかん
)
も為し難き、俗に
行悩
(
ゆきなや
)
みの
咎人
(
とがにん
)
ある時は、
本城
(
ほんじょう
)
伊勢
(
いせ
)
の
安濃津
(
あのつ
)
へ
差送
(
さしおく
)
ると
号
(
ごう
)
し
枯尾花
(新字新仮名)
/
関根黙庵
(著)
とうどう(藤堂)の例文をもっと
(10作品)
見る
東道
(逆引き)
亀の井主人油屋熊八氏
東道
(
とうどう
)
のもとに、
日名子
(
ひなこ
)
太郎氏、満鉄の井上
致也
(
ともや
)
氏、大阪毎日別府通信所の本条君と共であった。
別府温泉
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
とうどう(東道)の例文をもっと
(3作品)
見る
当道
(逆引き)
晩年は、
当道
(
とうどう
)
の
如一
(
じょいち
)
に就いて、琵琶の奥の奥の道までをきわめたものだそうだが、もう
二十歳
(
はたち
)
ごろ名人の聞えがあって、なんども宮中に召されたことだってあるのだそうだ
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とうどう(当道)の例文をもっと
(2作品)
見る
▼ すべて表示
嶝道
(逆引き)
興聖寺の
石門
(
せきもん
)
は南面して正に宇治の
急流
(
きゅうりゅう
)
に対して居る。岩を
截
(
き
)
り開いた琴阪とか云う
嶝道
(
とうどう
)
を上って行く。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
雲上
(
うんじょう
)
から下界に降る心地して、惜しい
嶝道
(
とうどう
)
を到頭下り尽した。石門を出ると、川辺に幾艘の小舟が
繋
(
つな
)
いである。小旗など立てた舟もある。船頭が上って来て乗れとすゝめる。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
とうどう(嶝道)の例文をもっと
(1作品)
見る
堂洞
(逆引き)
ここに一人、斎藤家にも、
薫
(
かんば
)
しい武士がいた。
堂洞
(
とうどう
)
の城主
岸勘解由
(
きしかげゆ
)
だった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とうどう(堂洞)の例文をもっと
(1作品)
見る
東堂
(逆引き)
均
(
ひと
)
しくこれ津軽家の藩士で、柳島附の目附から、少しく
貞固
(
さだかた
)
に遅れて留守居に転じたものがある。
平井氏
(
ひらいうじ
)
、名は
俊章
(
しゅんしょう
)
、
字
(
あざな
)
は
伯民
(
はくみん
)
、
小字
(
おさなな
)
は
清太郎
(
せいたろう
)
、通称は
修理
(
しゅり
)
で、
東堂
(
とうどう
)
と号した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
とうどう(東堂)の例文をもっと
(1作品)
見る
東洞
(逆引き)
吉益
東洞
(
とうどう
)
という名手が出、吉益派といえば、落ちぶれても名家の末のわけで、媒人の吉益氏もその系流とは聞いていたが、じっさいの血をひいていたか否かはわからない。
忘れ残りの記:――四半自叙伝――
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とうどう(東洞)の例文をもっと
(1作品)
見る
磴道
(逆引き)
これらの
石級
(
せききゅう
)
磴道
(
とうどう
)
はどうかすると私には長崎の町を想い起すよすがともなり得るので、日和下駄の歩みも
危
(
あやう
)
くコツコツと角の磨滅した石段を踏むごとに
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
とうどう(磴道)の例文をもっと
(1作品)
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