“とうどう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
藤堂50.0%
東道15.0%
当道10.0%
嶝道5.0%
堂洞5.0%
東堂5.0%
東洞5.0%
磴道5.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
伊賀いが上野うえのは旧藤堂とうどう侯の領分だが藩政の頃犯状はんじょうあきらかならず、去迚さりとて放還ほうかんも為し難き、俗に行悩ゆきなやみの咎人とがにんある時は、本城ほんじょう伊勢いせ安濃津あのつ差送さしおくるとごう
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
亀の井主人油屋熊八氏東道とうどうのもとに、日名子ひなこ太郎氏、満鉄の井上致也ともや氏、大阪毎日別府通信所の本条君と共であった。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
晩年は、当道とうどう如一じょいちに就いて、琵琶の奥の奥の道までをきわめたものだそうだが、もう二十歳はたちごろ名人の聞えがあって、なんども宮中に召されたことだってあるのだそうだ
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
興聖寺の石門せきもんは南面して正に宇治の急流きゅうりゅうに対して居る。岩をり開いた琴阪とか云う嶝道とうどうを上って行く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
雲上うんじょうから下界に降る心地して、惜しい嶝道とうどうを到頭下り尽した。石門を出ると、川辺に幾艘の小舟がつないである。小旗など立てた舟もある。船頭が上って来て乗れとすゝめる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ここに一人、斎藤家にも、かんばしい武士がいた。堂洞とうどうの城主岸勘解由きしかげゆだった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとしくこれ津軽家の藩士で、柳島附の目附から、少しく貞固さだかたに遅れて留守居に転じたものがある。平井氏ひらいうじ、名は俊章しゅんしょうあざな伯民はくみん小字おさなな清太郎せいたろう、通称は修理しゅりで、東堂とうどうと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
吉益東洞とうどうという名手が出、吉益派といえば、落ちぶれても名家の末のわけで、媒人の吉益氏もその系流とは聞いていたが、じっさいの血をひいていたか否かはわからない。
これらの石級せききゅう磴道とうどうはどうかすると私には長崎の町を想い起すよすがともなり得るので、日和下駄の歩みもあやうくコツコツと角の磨滅した石段を踏むごとに