“安濃津”の読み方と例文
読み方割合
あのつ100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
文政八年随斎が本藩安濃津あのつに開かれた藩校の講官にぬきんでられて江戸を発する時、竹渓は七古一篇を賦してその行を送ったことがある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
伊賀いが上野うえのは旧藤堂とうどう侯の領分だが藩政の頃犯状はんじょうあきらかならず、去迚さりとて放還ほうかんも為し難き、俗に行悩ゆきなやみの咎人とがにんある時は、本城ほんじょう伊勢いせ安濃津あのつ差送さしおくるとごう
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
毅堂はそれより三年の後弘化元年某月、その齢二十歳の時、先考せんこうの遺命を奉じて伊勢安濃津あのつに赴き、藤堂家の賓師猪飼敬所いかいけいしょについて主として三礼の講義をいていたのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)