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じやうない
三日の
間城内へ
詰め
切りでございまして、
漸う
歸宅いたしますと
町方の
病家から、
見舞の
催促が
矢を
射るやうで、
其處をどうにか
切り
拔けてまゐりました。
寛永八年二月二日町奉行島田
彈正忠殿宅へ老中方其外役々
寄合公事沙汰ありしが始めにて其後
酒井雅樂頭酒井
讃岐守殿并に老中方の
屋敷へ寄合れしに寛永十二年十一月十日御
城内に評定所を
塲内の
光景は
實に
慘憺たるもので、
濁浪怒濤は
一方の
岩壁を
突破つて、
奔流の
如く
其處から
浸入したものと
見へ、
其直ぐ
側の、
兼て
發動藥液の
貯藏せられて
居つた
小倉庫の
鐵の
扉は
微塵に
碎かれて