鳴音なくね)” の例文
折から梢の蝉の鳴音なくねをも一時いちじとどめるばかり耳許みみもと近く響き出す弁天山べんてんやまの時の鐘。数うれば早や正午ひるの九つを告げている。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
どこやらの溝池どぶいけでコロコロとかわず鳴音なくねを枕に、都に遠い大和路の旅は、冷たい夜具やぐの上——菜の花の道中をば絶望と悔悟かいごつ死の手に追われ来た若者……人間欲望の結局に泣いて私は
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
鳴音なくねは聽かず何日いつかまた鳴なむ聲か
独絃哀歌 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
鳴音なくねはまたもかれぬ。
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
秋の夜も冬近くなった頃には蟋蟀こおろぎが人の留守を幸に忍び込んで長椅子の下や屏風のかげに鳴音なくねを立てている。閉めきった窓のすき間から月の光が銀の糸のようにさし込んでいる事もある。
写況雑記 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
蜀山人しょくさんじん吟咏ぎんえいのめりやすにそぞろ天明てんめいの昔をしのばせる仮宅かりたく繁昌はんじょうも、今はあしのみ茂る中洲なかすを過ぎ、気味悪く人を呼ぶ船饅頭ふなまんじゅうの声をねぐら定めぬ水禽みずとり鳴音なくねかと怪しみつつ新大橋しんおおはしをもあとにすると
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
桔梗ききょう紫苑しおんの紫はなおあざやかなのに、早くも盛りをすごした白萩しらはぎは泣き伏す女の乱れた髪のように四阿屋の敷瓦しきがわらの上に流るる如く倒れている。生き残った虫の鳴音なくねが露深いそのかげに糸よりも細く聞えます。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)