飛騨守ひだのかみ)” の例文
高槻たかつきの高山飛騨守ひだのかみせがれ……あれは十四歳の頃から切支丹に帰依した熱心家だそうだが……師父とは特別に親しかろうな」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それもおどしではなく、立花侯(飛騨守ひだのかみ忠茂)の内意をきいてくれるようにと、米谷どのに依頼して来ていた」
飛騨守ひだのかみ家来けらい、あわてて帰っていく玄関への廊下で、入れちがいにはいってきた堀口但馬ほりぐちたじまの臣と、れちがい
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
羽柴の姓を賜わって飛騨守ひだのかみ氏郷といえば味方は頼もしく思い、敵は恐ろしく思う一方の雄将となってしまった。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
はじめとして加番かばんには戸田大隅守殿おほすみのかみどの同植村土佐守殿町奉行まちぶぎやうには松平日向守ひうがのかみ殿鈴木飛騨守ひだのかみ殿大番頭おほばんがしら松平采女正うねめのしやう殿設樂したら河内守殿御目附おんめつけ御番しう列座れつざ縁側えんがはには與力十人同心二十人出役しゆつやく致しいと嚴重げんぢうかまへたり時に上段のみす
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
逸早いちはやく、母のいる安土へ向けて、弟の坊丸ぼうまるを使いにやり、また兄の森伝兵衛にも言伝ことづけて、過去数年のあいだ、鈴木飛騨守ひだのかみ重行と往復した手紙などは、一切
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その年が明けると間もなく、参覲さんきんのいとまで飛騨守ひだのかみが帰国するとき、弁之助も供を申付けられて故郷へ帰ることになった。そのことがきまった日の宵であった。
日本婦道記:おもかげ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
延喜年間に盗の為に殺された前安芸守さきのあきのかみ伴光行、飛騨守ひだのかみ藤原辰忠、上野介かうづけのすけ藤原厚載、武蔵守むさしのかみ高向利春などいふものも、けだし維幾が生擒いけどりされたやうな状態であつたらう。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
遅れじと、彼の後から駈け続いて来る人々といえば、物頭の岩室長門いわむろながとをはじめ、山口飛騨守ひだのかみ長谷川橋介はせがわきょうすけ、それに小姓の加藤弥三郎かとうやさぶろう、最年少者の佐脇藤八郎。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先の好雪どの(飛騨守ひだのかみ忠茂)の奥が故忠宗のむすめで、つまり当代の左近将監さこんしょうげんには実母に当るからだ、それにしても二十万石は多すぎるし、白石への十万石はまったくむだだ
五年には逮捕をせねばならぬやうになり、其冬十月には盗賊が飛騨守ひだのかみの藤原辰忠ときたゞを殺し、六年には鈴鹿山に群盗あり、十五年には上野介かうづけのすけ藤原厚載も盗に殺され、十七年には朝に菊宴が開かれたが
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
江戸柳生三代の人は、いうまでもなく又十郎——飛騨守ひだのかみ宗冬である。決して、若くして資性英武ではなかったが、晩成一道をきわめて、長寿長く、渾然こんぜんと大成を遂げた。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
立花飛騨守ひだのかみ(忠茂)の隠居と、左近将監鑑虎しょうげんかねとらの家督したこと。
飛騨ひだ方面から金森飛騨守ひだのかみ、呼応して、いちどに甲州入りを目ざし、伊那いな口には、信長信忠の父子、ふた手にわかれて、はや乱入と聞えわたり、高き山に登ってみますると、東、西
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)