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頼母子講
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たのもしこう
ふりがな文庫
“
頼母子講
(
たのもしこう
)” の例文
酒を呼んで、わざと膝を
崩
(
くず
)
し初める。
頼母子講
(
たのもしこう
)
の事などを、雑談のあいだにわざとして、やがて茶漬を食べ、思い思いに散じて去る。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
師走
(
しわす
)
の二日には、深川八幡前の一
旗亭
(
きてい
)
に、
頼母子講
(
たのもしこう
)
の取立てと称して、一同集合することになっていた。
四十八人目
(新字新仮名)
/
森田草平
(著)
これは半蔵父子とも多年御奉公申し上げ、
頼母子講
(
たのもしこう
)
お世話方も行き届き、その尽力の功績も没すべきものでないから、特別の
憐憫
(
れんびん
)
を加えられたのであるとの申し渡しだ。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
そんな考えから、親爺は、借金や、
頼母子講
(
たのもしこう
)
を落した金で、ちびり/\と田と畠を買い集めた。
浮動する地価
(新字新仮名)
/
黒島伝治
(著)
「わたしン
家
(
く
)
なあ先生、こないだ
頼母子講
(
たのもしこう
)
をおとして、大きい船を買うたん。だから、
倹約
(
けんやく
)
せんならんの。こんぴらまいりは、じぶんで金もうけするようになってから、いくことにきめた」
二十四の瞳
(新字新仮名)
/
壺井栄
(著)
▼ もっと見る
人の世話で
頼母子講
(
たのもしこう
)
を
拵
(
こしら
)
えて
一口
(
ひとくち
)
金二朱
(
きんにしゅ
)
ずつで何両とやら
纏
(
まと
)
まった金が出来て一時の用を弁じて、その後、毎年幾度か講中が二朱ずつの金を
持寄
(
もちよ
)
り、
鬮引
(
くじびき
)
にて満座に至りて
皆済
(
かいさい
)
になる
仕組
(
しくみ
)
であるが
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
「
頼母子講
(
たのもしこう
)
。」
フレップ・トリップ
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
儘
(
まま
)
になるなら、自分は
退
(
ひ
)
いてもよいから、平田氏を三十三間堂へ立たせてみたいが、実は手前も、
明日
(
あした
)
の晩、
頼母子講
(
たのもしこう
)
の金を
競
(
せ
)
り落して
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
頼母子講
(
たのもしこう
)
のお世話方も行き届いて、その骨折りも認めないわけにいかないから、特別の
憐憫
(
れんびん
)
をもってきっと
叱
(
しか
)
り置く、特に手錠を免ずるなんて——それを言い渡された時は
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
源作は、
頼母子講
(
たのもしこう
)
を取った。抵当に、一段二
畝
(
せ
)
の畑を書き込んで、其の監査を頼みに、小川のところへ行った時、小川に、抵当が不十分だと云って頑固にはねつけられたことがあった。
電報
(新字新仮名)
/
黒島伝治
(著)
こういう風に相談が
多端
(
たたん
)
に
亙
(
わた
)
ったために、
頼母子講
(
たのもしこう
)
は夜に入ってようやく散会となった。散会となるや、安兵衛と勘平とは庄左衛門のことが気になるので、宙を飛ぶようにして林町の宿へ駈け戻った。
四十八人目
(新字新仮名)
/
森田草平
(著)
去る安政三年に金三百両の
頼母子講
(
たのもしこう
)
を取り立て、その以前にも百両講を取り立て、それらの方法で宿方借財返済の
途
(
みち
)
を立てて来たが、近年は人馬雇い金、並びに借入金利払い、その他
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
頼母子講
(
たのもしこう
)
の集まりという名目になっている。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
其方
(
そのほう
)
儀、
御勝手
(
おかって
)
御仕法立てにつき、
頼母子講
(
たのもしこう
)
御世話
方
(
かた
)
格別に存じ入り、
小前
(
こまえ
)
の
諭
(
さと
)
し方も行き届き、その上、自身にも別段御奉公申し上げ、奇特の事に
候
(
そうろう
)
。よって、一代
苗字
(
みょうじ
)
帯刀
(
たいとう
)
御免なし下され候。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
頼
常用漢字
中学
部首:⾴
16画
母
常用漢字
小2
部首:⽏
5画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
講
常用漢字
小5
部首:⾔
17画
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頼母子