遺孤いこ)” の例文
「後三国志」こそは、玄徳の遺孤いこを奉じて、五丈原頭に倒れる日まで忠涙義血に生涯した諸葛孔明が中心となるものである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よく斡旋あっせんしたからとて、抱月氏の死後、彼女が未亡人や遺孤いこに対して七千円を分割し、買入れた墓地まで、心よく島村家の人たちに渡してしまうはずはない。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
一八五六年七月シューマンが死んだ後は、クララとシューマンの遺孤いこのために、ブラームスは最もよき助言者であり、生涯しょうがい変ることなき友人として、陰に陽に助けていった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
家康いえやすが旧恩ある太閤たいこう遺孤いこを滅ぼして政権を私した、そうして皇室の大権をぬすむこと三百余年、清盛きよもりにしろ頼朝よりともにしろ、ことごとくそうである、かれらは正義によらざる英雄である
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
先方は義理固くて大将の遺孤いこを見捨てる気は夢さらない。
うすゆき抄 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
と口ぐせに遺孤いこを案じていっていた遺託を思えば——心を鬼にもしなければいけないとお沢はかたく笑顔を閉じているのだ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岡山城主の直家はすでにこの一月頃病死していたので、幼い遺孤いこを守り立てて高松へ参陣していた岡山衆の心境は、いとど多感であったのである。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし孔明がこの遺孤いこに仕えることは、玄徳が世にいた頃と少しも変らなかった。いやもっと切実な忠愛と敬礼を捧げきって骨も細りゆく姿だった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たれでも、世間では、知っています。——父が、あなた方に遺孤いこを托したのも、それがあるからです。よも、間違いはあるまいと信じたのでしょう。私を
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
荊州の主、劉表りゅうひょうは死なれた。しかし遺孤いこ劉琦りゅうき——すなわちその嫡子はなおわが劉皇叔のもとに養われている。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
列座の諸将の眸はみなこのあどけない遺孤いこに注がれていた。微笑をふくむもあり、暗涙をたたえるもあった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど十兵衛光秀みつひでは、兄の子である。兄の下野守光綱しもつけのかみみつつなが、自分に託して世を去った明智家の遺孤いこなのだ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うしろには、この遺孤いこの父信忠が二条城で戦死した折、信忠の遺命をうけて、敵中からこれへのがれ落ちて来たという——遺臣前田玄以げんいがつつましげに控えていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の正嗣せいしとして立てた三法師さんぼうし秀信ひでのぶ)をただ守り立てるためとして——自己を劉備玄徳りゅうびげんとく遺孤いこを託された諸葛孔明しょかつこうめいの心事になぞらえ——ひたすら時節を待って来たのであった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊家の遺孤いこを守って、徳川老大御所おおごしょの関東軍との義戦に、この一少年弁次郎が、いわゆる九度山くどやま隠者いんじゃ真田幸村として、大坂入城者の到着簿とうちゃくぼ第一にその名を見出す日があろうとは。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まして今、玄徳亡く、遺孤いこ劉禅りゅうぜんをようやく立てたばかりの敵の情勢においてはです
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せっかく、しょくに立つや、劉玄徳りゅうげんとくは、遺孤いこ孔明こうめいに託してった。孔明のかなしみは、食も忘れたほどだったという。——だが、わしとおぬしの間はあべこべだ。孔明に先立たれた劉備りゅうびにひとしい。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遺孤いこたく
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)