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車駕
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しゃが
ふりがな文庫
“
車駕
(
しゃが
)” の例文
むかしは平家一門の
車駕
(
しゃが
)
が軒なみの
甍
(
いらか
)
に映えた繁昌のあとである。平家亡んで、源ノ頼朝、
実朝
(
さねとも
)
の幕府下にあったのもわずか二、三十年。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
十一月七日の
車駕
(
しゃが
)
御到着の日などは、雲もない青空に日がよく照って、
御苑
(
ぎょえん
)
も大通りも早天から、人をもって
埋
(
うず
)
めてしまったのに、なお遠く
若王子
(
にゃくおうじ
)
の山の松林の中腹を望むと
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
方孝孺堅く
京
(
けい
)
を守りて
勤王
(
きんのう
)
の師の
来
(
きた
)
り
援
(
たす
)
くるを待ち、事
若
(
も
)
し急ならば、
車駕
(
しゃが
)
蜀
(
しょく
)
に
幸
(
みゆき
)
して、後挙を為さんことを請う。時に
斉泰
(
せいたい
)
は
広徳
(
こうとく
)
に
奔
(
はし
)
り、黄子澄は
蘇州
(
そしゅう
)
に奔り、徴兵を
促
(
うなが
)
す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
その方儀、憂国の過慮より、自作の和歌一首録し置きたる扇面を行幸の途上において
叡覧
(
えいらん
)
に備わらんことを欲し、みだりに
供奉
(
ぐぶ
)
の乗車と誤認し、投進せしに、
御
(
ぎょ
)
の
車駕
(
しゃが
)
に触る。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
明治二年
己巳
(
きし
)
三月七日明治天皇の
車駕
(
しゃが
)
京師を発し同月二十八日に東京城に入った。『毅堂丙集』に曰く「三月 上東京ニ幸ス。
宣光
(
のりみつ
)
鑾輅
(
らんろ
)
ニ後ルヽコト十日ニシテ乃京師ヲ発ス。」
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
成は
木市
(
きば
)
の材木の中に隠れていて、天子の
車駕
(
しゃが
)
の通り過ぎるのを待ちうけ直訴した。
成仙
(新字新仮名)
/
蒲 松齢
(著)
叡山の衆徒は感奮し、大塔宮様ともどもに、
車駕
(
しゃが
)
を西塔に迎えたてまつり、おりから攻めよせて来た佐佐木時晴の、六波羅勢を打ち破ったが、その時心ない山風が吹いて、
御車
(
みくるま
)
の
簾
(
すだれ
)
を
翻
(
ひるが
)
えした。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
「遠くの方へさけなくちゃいけない、
車駕
(
しゃが
)
を犯すと死刑になるからな」
西湖主
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
疾走する海神の
車駕
(
しゃが
)
を表わしている、あの有名な噴水である。
幸福への意志
(新字新仮名)
/
パウル・トーマス・マン
(著)
同時に——造営の事も終りぬれば——とあって、諸州の大将、文武の百官も、祝賀の大宴に招かれて、鄴城の春は
車駕
(
しゃが
)
金鞍
(
きんあん
)
に埋められた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
恩賞を受けた将士やら賀客の登城はひきもきらず、城市はせまく城門も小さい宝寺城は、それらの
車駕
(
しゃが
)
人馬に溢れた。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
車駕
(
しゃが
)
担輿
(
たんよ
)
など雑然と続いて行く始末なので道はようやく一日に十里(支那里)も進めば関の山という状態であった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蔡夫人や劉琮の
車駕
(
しゃが
)
へ、五百騎の兵が狼群のごとく噛みついたと思うと、たちまち、昼間の月も血に黒ずんで、悲鳴絶叫が、水に
谺
(
こだま
)
し、野を馳けまわった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『——が、わしは競馬はきらいでな。
車駕
(
しゃが
)
の御供に、随身として、乗るならべつだが』
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
当主、
王駙馬
(
おうふば
)
の誕生祝いとあって、ここの亭館には、華麗な
車駕
(
しゃが
)
が門に市をなした。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
車
常用漢字
小1
部首:⾞
7画
駕
漢検準1級
部首:⾺
15画
“車駕”で始まる語句
車駕輻輳
車駕金鞍
車駕騎客