覇府はふ)” の例文
なにも江戸表とは限らないが、人の噂に聞けば、関東の江戸表こそこれからの日本の覇府はふになるだろうという話だ。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鎌倉の都といひ得べきか否かに就きて、ある人、昔は國府を鄙の都といひし例もあれば鎌倉の如く江戸の如く覇府はふありし地は都といひてもよかるべし、といへり。
万葉集を読む (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
しかし、伊豆いずならば頼朝よりとも覇府はふにちかく、また北条氏ともふかい関係があった。そこに昔なつかしい鎌倉の歌が、大事に保存せられていたとしてもふしぎはない。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わが皇室ほとんど七百余年間、その統治の大権を、あげて覇府はふに掠奪せられたり。しかれども、皇位皇統は連綿たり。王政復古は、いわゆる統治の大権の復古なり。
東に覇府はふありてより幾百年、唯東へ東へと代々よよみかど父祖ふその帝の念じ玉ひし東征の矢竹心やたけごころを心として、白羽二重にはかま五歳いつつ六歳むつつ御遊ぎよいうにも、侍女つかへをみなを馬にして、東下あづまくだりとらしつゝ
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それ元和げんな偃武えんぶ以来、ほとんど四半世紀、忽然こつぜんとして清平の天地に砲火を上げ、竪子じゅしを推して、孤城を嬰守えいしゅし、赫々かくかくたる徳川覇府はふの余威をり、九州の大名これを合囲ごういし、百戦老功の士これを攻め
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
頼家 鎌倉は天下の覇府はふ、大小名の武家小路、いらかをならべて綺羅きらを競えど、それはうわべの栄えにて、うらはおそろしき罪のちまた、悪魔の巣ぞ。人間の住むべきところでない。鎌倉などへは夢も通わぬ。
修禅寺物語 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今では鎌倉に覇府はふをひらいて、天下に覇を唱えているのであるから、平家の文化が一変して、世も、京洛みやこも、加茂川の水までが、源氏色に染め直されてしまったのは当然な変遷なのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹中半兵衛や於通の父小野政秀などと同列のいわゆる美濃衆といわれた稲葉山の斎藤義龍よしたつの家中であり、覇府はふ斎藤が、信長に亡ぼされた永禄えいろく六年を転機として、竹中一族も、於通の父も、海北友松も
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『さすがに、北条早雲以来三代を経た関東一の覇府はふだ——』
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鎌倉幕府、執権高時、すべて昨日の覇府はふは地上から消えた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)