行路こうろ)” の例文
もしその男が私の生活の行路こうろを横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ふしぎな独楽こま乱舞らんぶを、かれの技力ぎりょくかと目をみはる往来おうらいの人や行路こうろ閑人ひまじんが、そこでバラバラとぜに拍手はくしゅを投げる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薄暮はくぼは迫り、春の日は花に暮れようとするけれども、行路こうろの人は三々五々、各自に何かのロマンチックな悩みを抱いて、家路に帰ろうともしないのである。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
不思議なるは人生の行路こうろ、誰か自分の運命を知るものがあろう。……ふりさけ見れば千万里、海や、雲を隔てて異郷の土にひややかに眠るさすらい人の身を哀れむのである。
あれは浅草で行き倒れの行路こうろ病者をひろってきたんです。僕はずいぶん世話をやいて、医者にもかけてやりましたよ。もちろん、もう二三日の寿命しかないとは思っていたんですがね。
私はかうして死んだ! (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
つつしんで筆鋒ひっぽうかんにして苛酷かこくの文字を用いず、もってその人の名誉を保護するのみか、実際においてもその智謀ちぼう忠勇ちゅうゆう功名こうみょうをばくまでもみとむる者なれども、およそ人生の行路こうろ富貴ふうきを取れば功名を失い
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一視同仁だが、唯一番小さいのに一番余計にかされるのである。斯ういう傾向は何処の家庭にも認められる。謂わば人生の行路こうろの終点に達した年寄はその出発点に近い孫ほどいとしいのである。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
行路こうろの難は、そればかりでなかった。大物だいもつの浦から船に乗りこんだ夜、暴風あらしに襲われて、船は難破してしまった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秋風落寞らくばく、門を出れば我れもまた落葉の如く、風に吹かれる人生の漂泊者に過ぎない。たまたま行路こうろに逢う知人の顔にも、生活の寂しさが暗く漂っているのである。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
かれは平岡の安否あんぴにかけてゐた。まだ坐食ゐぐひの不安な境遇にるにちがひないとは思ふけれども、或はの方面かへ、生活の行路こうろを切り開く手掛りが出来できたかも知れないとも想像して見た。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
弦之丞には、行路こうろの一にもすぎぬ女であったろうが、お綱の身にとってみれば、手のうちの珠を奪われたよりは、もっと絶望的な空虚が胸をひたすのであった。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)