茗荷谷みょうがだに)” の例文
或る日学校からの帰り道竜子は電車の中で隣に腰をかけている二人づれの見知らぬ男の口から、茗荷谷みょうがだにという自分の住んでいる町の名と
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
魔鳥のはねのような奇怪なかたちをした雲が飛んでいたが、すぐ雨になって私の住んでいる茗荷谷みょうがだにの谷間を掻き消そうとでもするように降って来た。
変災序記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
実は、そのヨハン様は、私たち山岳切支丹族さんがくきりしたんぞくの仲間の者が相談の上、茗荷谷みょうがだにの牢獄から山へお迎えいたしたのでございます。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「詳しい話は拙者のところへやって来給え、小石川の茗荷谷みょうがだにで、切支丹坂きりしたんざかを上って、また少し下りると、長屋門のイヤにかしいだのが目安だ……」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
大通詞今村源右衛門、稽古通詞加福喜七郎、品川丘次郎その他二十六名の者が附添ひ、十一月朔日ついたち江戸表へつき、小石川茗荷谷みょうがだにの切支丹屋敷へ入れられた。
この暗闇まっくらな坂を下りて、細い谷道を伝って、茗荷谷みょうがだにむこうあがって七八丁行けば小日向台町こびなただいまちの余が家へ帰られるのだが、向へ上がるまでがちと気味がわるい。
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
十一月も晦日みそかのことであった。小平太は朝から小石川の茗荷谷みょうがだににある戸田侯のお長屋に兄の山田新左衛門を訪ねて行った。おりよく兄も非番で在宿していた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
畑村の境から茗荷谷みょうがだに多賀谷たがだに、それから地蔵前じぞうまえ。法輪寺で昼食して、鎮守八島神社やしまじんじゃに参詣した時に純之進は芝居の板番付が新しく奉納額として懸っているのを見出した。
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
二年ほど前から小石川の茗荷谷みょうがだにの方へ屋敷換えになって、今では誰も住んでいないので、門のなかは荒れ放題、玄関さきまで夏草が茫々と生いしげっているというありさま。
半七捕物帳:34 雷獣と蛇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
……飛びたいにも、駈けたいにも、俥賃なぞあるんじゃない、天保銭の翼も持たぬ。破傘やれがさ尻端折しりっぱしょり、下駄をつまんだ素跣足すはだしが、茗荷谷みょうがだに真黒まっくろに、切支丹坂きりしたんざか下から第六天をまっしぐら。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
右手、茗荷谷みょうがだにへ抜ける方に、一人の女が悪戯ッ子の姿をじっと見送っております。
なぜかといえば、そのばてれんは、茗荷谷みょうがだに切支丹屋敷きりしたんやしきの鉄窓につながれているはずのヨハンに生き写しです。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私が最後に茗荷谷みょうがだにのほとりなる曲亭馬琴きょくていばきんの墓を尋ねてから、もう十四、五年の月日は早くも去っている……。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
御記憶かと思いますが、昨年十二月十六日、茗荷谷みょうがだに切支丹キリシタン坂に幸三と申す若者がノド笛を噛みきられ、腹をさかれ臓物をかきまわされて無残な死体となっておりました。
それまで竜子は小石川こいしかわ茗荷谷みょうがだにの小じんまりした土蔵付の家に母と二人ぎり姉妹きょうだいのようにくらして来た。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十九の春まで、ころびばてれんの娘として、茗荷谷みょうがだにの異人屋敷に縛りつけられていたのを、その宿命の牢獄を破って、見も知らぬ広い世間のやみへ、あてどなく彷徨さまよい出した混血児のお蝶であります。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前章市内の閑地あきちを記したるじょうに述べたさめはしの如き、即ちその前後には寺町てらまち須賀町すがちょうの坂が向合いになっている。また小石川茗荷谷みょうがだににも両方の高地こうちが坂になっている。
切支丹坂より茗荷谷みょうがだにのあたりには知れる人の家多かりき。今はありやなしや。電車通を伝通院の方に向ひて歩みを運べば、ほどなく新坂しんざか降口おりくちあり。新樹のこずえに遠く赤城の森を望む。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
第一に思出すのは茗荷谷みょうがだに小径こみちから仰ぎ見る左右の崖で