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私淑
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ししゅく
ふりがな文庫
“
私淑
(
ししゅく
)” の例文
彼に
私淑
(
ししゅく
)
する者は、彼の
寡
(
か
)
をもって北方の衆に敵し得たとか、南軍の
貧
(
ひん
)
をもって北軍の
富
(
とみ
)
に当たった、
某
(
ぼう
)
戦場においては某将軍を破った
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
これが奥羽の方へ行くと何の
何某
(
なにがし
)
館と書いてある。武士の住宅を館というのは東北地方の方言で、西国に行けば京都に
私淑
(
ししゅく
)
して武家も皆殿と呼んだのである。
名字の話
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
その
中
(
うち
)
自分にても一番よしと思ふものを取り丁寧に清書してもし
私淑
(
ししゅく
)
する先輩あらばつてを求めてその人のもとに至り教を乞ふべし。菓子折なぞは持参するに及ばず。
小説作法
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
彼の江戸に
祇役
(
しえき
)
するや、松平定信に
謁見
(
えっけん
)
し、その長門の内政を更革するや
私淑
(
ししゅく
)
する所ありしという。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
曰
(
いわ
)
く『荘田勝平は唐沢男に
私淑
(
ししゅく
)
しているのだ。彼は数十万円を投じて唐沢家の財政上の窮状を救ったのだ。唐沢男が、娘を与えたのは、その恩義に感じたからである。』
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
▼ もっと見る
晩年に女史が
私淑
(
ししゅく
)
なさったのは、夏目漱石先生であったということを
後
(
のち
)
に聞きました。
大塚楠緒子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
当時の風潮にしたがつてアララギ調で、なかでも
千樫
(
ちかし
)
に
私淑
(
ししゅく
)
してゐたらしいが、ちよいちよい校友会雑誌などに載るその作品は全部が全部自然
諷詠
(
ふうえい
)
で、たえて人事にわたらなかつた。
夜の鳥
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
「岡村さんて人も君が
私淑
(
ししゅく
)
しているくらいだから、安藤先生の
亜流
(
ありゅう
)
じゃないかい?」
負けない男
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
若きから孔明に
私淑
(
ししゅく
)
して来たものの、孔明に似て孔明にとどかず、その人格に力量に、如何ともなし得ぬ先天的な器量の差は、こういう風に、軍をうごかすたび、歴然と結果に出てくる。
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
海軍機関学校に居る頃から、彼は外川先生に
私淑
(
ししゅく
)
して基督を信じ、他の進級、出世、肉の
快楽
(
けらく
)
にあこがるゝ同窓青年の中にありて、彼は
祈祷
(
きとう
)
し、
断食
(
だんじき
)
し、読書し、
瞑想
(
めいそう
)
する青年であった。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
と言ったが、これは、
私淑
(
ししゅく
)
する泰軒先生の口まねです。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
兄が、その以前父に隠れて通ったことのある、小石川の洋画研究所も尋ねて見た。兄が、
予
(
かね
)
てから
私淑
(
ししゅく
)
している二科会の幹部のN氏をも訪ねて見た。が、
何処
(
どこ
)
でも兄の消息は
判
(
わか
)
らなかった。
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
“私淑”の意味
《名詞》
直接に教えは受けないが、ひそかにその人を模範として、自分の身を修め正すこと。
(出典:Wiktionary)
私
常用漢字
小6
部首:⽲
7画
淑
常用漢字
中学
部首:⽔
11画
“私”で始まる語句
私
私語
私共
私等
私達
私怨
私事
私刑
私窩子
私娼