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正徳
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しょうとく
ふりがな文庫
“
正徳
(
しょうとく
)” の例文
正徳
(
しょうとく
)
五年(一七一五)の制限令以後、長崎に許された蘭商船の数は、一年一艘ということで、ずっと安政四年までまもられていたのである。
空罎
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
汶村の句は
正徳
(
しょうとく
)
二年の『
正風彦根躰
(
しょうふうひこねぶり
)
』に出ているのだから、そういう人間がまだ古風扱を受けるに至らぬ、現役の時代である。
古句を観る
(新字新仮名)
/
柴田宵曲
(著)
清信が役者一枚絵は元禄以降
正徳
(
しょうとく
)
年中において次第に流行しその後継者たる鳥居派二世の絵師
清倍
(
きよます
)
に至りて
益〻
(
ますます
)
流行を極め
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
渋江氏の祖先は
下野
(
しもつけ
)
の
大田原
(
おおたわら
)
家の臣であった。抽斎六世の祖を
小左衛門
(
こざえもん
)
辰勝
(
しんしょう
)
という。大田原
政継
(
せいけい
)
、
政増
(
せいそう
)
の二代に仕えて、
正徳
(
しょうとく
)
元年七月二日に歿した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
正徳
(
しょうとく
)
の初め頃にこれがはやり、当時のいろいろの書に見えているのを、それから百年余り後に流行した、石塔磨きという墓地の不思議と一つにして
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
早いもので、と言うのは誰もが口癖に出る師走のことばで、その年も暮れると、明くる翌年は
正徳
(
しょうとく
)
五年です。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
第四は
享保
(
きょうほう
)
時代です。これは享保時代と申しましても、
正徳
(
しょうとく
)
頃から宝暦頃までを含んで居るのです。
俳句上の京と江戸
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
七兵衛は得意になって、
正徳
(
しょうとく
)
、
享保
(
きょうほ
)
の
改鋳金
(
かいちゅうきん
)
を初め、豆板、
南鐐
(
なんりょう
)
、一分、二朱、
判金
(
はんきん
)
等のあらゆる種類を取並べた上に、それぞれ
偽金
(
にせきん
)
までも取揃えて、お絹を煙に巻いた上に
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
然
(
しか
)
るに
廟諡
(
びょうし
)
を得たもうこと無く、
正徳
(
しょうとく
)
、
万暦
(
ばんれき
)
、
崇禎
(
すうてい
)
の間、事しば/\議せられて、
而
(
しか
)
も
遂
(
つい
)
に行われず、
明
(
みん
)
亡び、
清
(
しん
)
起りて、
乾隆
(
けんりゅう
)
元年に至って、はじめて
恭憫恵
(
きょうびんけい
)
皇帝という
諡
(
おくりな
)
を得たまえり。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
「
貞享
(
じょうきょう
)
、
元禄
(
げんろく
)
、
宝永
(
ほうえい
)
、
正徳
(
しょうとく
)
……」
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
浮世絵における
和蘭画
(
オランダが
)
幾何学的遠近法の応用は既に
正徳
(
しょうとく
)
享保頃に流行せし劇場内部の光景または
娼楼
(
しょうろう
)
大広間見通しの図等においてこれを見たりしといへども
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
寛永
(
かんえい
)
、
正徳
(
しょうとく
)
以来、ここ五、六十年間の通し矢は、御三家や各藩士の間でばかり競技が行われて来ていたが、今度は、
遍
(
あまね
)
く天下の隠れたる
弓仕
(
ゆみし
)
に、あの
曠
(
は
)
れの場所が与えられ
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
遅塚麗水
(
ちづかれいすい
)
翁またかつてこのあたりに鄰を
卜
(
ぼく
)
せしことありと聞けり。
正徳
(
しょうとく
)
のむかし
太宰春台
(
だざいしゅんだい
)
の
伝通院
(
でんずういん
)
前に
帷
(
とばり
)
を下せしは人の知る処。
礫川
(
こいしかわ
)
の地古来より文人遊息の処たりといふべし。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
“正徳”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。1711年6月11日から1716年8月9日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
正
常用漢字
小1
部首:⽌
5画
徳
常用漢字
小4
部首:⼻
14画
“正徳”で始まる語句
正徳寺