楠正成くすのきまさしげ)” の例文
楠正成くすのきまさしげ名和長年なわながとしのわずか三人が出ただけのことで、当時の人心が、天皇に忠誠であったとの証拠には、とうていなりえないのである。
木曽義仲きそよしなかを討ったとき義経よしつねは都に入るやいなや第一番に皇居を守護した、かれは正義の英雄である、楠正成くすのきまさしげの忠はいうまでもない。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)
人間失格 (新字新仮名) / 太宰治(著)
まず歴史家として有名な黒川真頼くろかわまより先生が楠正成くすのきまさしげという歴史上の人物について考証された(今泉雄作いまいずみゆうさく先生も加わっていました)。
徳川家康とくがはいへやすかずして家康徳川いへやすとくがはといい、楠正成くすのきまさしげかずして正成楠まさしげくすのきといひ、紀貫之きのつらゆきかずして貫之紀つらゆききといふべきか。これは餘程よほどへんなものであらう。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
八百発のねらい撃ちである。正規兵の代りに全朝鮮の虎猟師を駆集めたなぞは、楠正成くすのきまさしげそこのけの戦術家だった。
撥陵遠征隊 (新字新仮名) / 服部之総(著)
大塔宮様が熊野方面に落ち、楠正成くすのきまさしげ河内摂津かわちせっつの間に、隠顕出没いんけんしゅつぼつして再挙を計るべく、赤坂の城をこうして開いたのは、元弘元年十月の、二十一日のことであった。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「兜を割るので、——敵の目がくらむ所をちとったものでがす。楠正成くすのきまさしげ時代から用いたようで……」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
貧乏してまでも同志を欺く苦肉のはかりごとをしておかみの御用を勤めていたというなら、それこそ楠正成くすのきまさしげほどでなくとも赤穂あこうの義士ぐらいに値踏み出来る国家の功労者である。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
また『太平記』に、『楠正成くすのきまさしげの亡霊が一条の戻り橋にて、女に化して大森彦七おおもりひこしちをおどしたり』
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「や、また敵が襲って来るそうな。おれは楠正成くすのきまさしげの故知を学んでいるんだ。屎合戦くそがっせんだ。」
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
遠く明治七年の河原崎座における「新舞台巌楠しんぶたいいわおのくすのき」の楠正成くすのきまさしげにはじまり、更に明治九年の中村座における「牡丹平家譚ふうきぐさへいけものがたり」の重盛しげもりに至って、いよいよその熱を高めたと伝えられているが
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
相摸さがみさがという字に楠正成くすのきまさしげしげという字だが、相成さがしげじゃア分らねえし、又きもじさまとア誰の名だか、それから、えゝと……あしからかす/\おんかんにん被下度候……何だか読めねえ
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
表坊主の如き低い身分の者には似合わず読書を好み公務の余暇楠正成くすのきまさしげに関する旧記を渉猟し『南木志』五巻を著してこれを幕府に献じ白銀を下賜せられた。没した時は年四十五であった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それはある夜同室にまくらをならべて眠りにつきながらの話に、ワシントンと楠正成くすのきまさしげとの比較論が始まり、僕が楠公なんこうを愛国者と称したのを、彼はこれを訂正し、楠公なんこうは愛国者でなく忠臣だといった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「南朝の忠臣楠正成くすのきまさしげはいかがでございましょう?」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
維新がなつてのち間もなく、薩長政府は、楠正成くすのきまさしげを神として祭り、また織田信長おだのぶながを忠臣として追賛したりしている。その楠氏は、はじめには北条幕府のために、大いに尽くした武人である。
高麗蔵こまぞう家橘かきつなどが加入して、一番目に「黄門記こうもんき」、中幕に「楠正成くすのきまさしげ」、二番目に「松田の喧嘩」を出し、十一月には左団次一座に芝翫しかん猿之助えんのすけ、源之助が加入して、一番目に「碁盤忠信ごばんただのぶ
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ゆえに広い意味においては親兄弟にも勝たねばならぬ。楠正成くすのきまさしげの歌に
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
他ならぬ楠正成くすのきまさしげ公だ。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)