旦那寺だんなでら)” の例文
与右衛門はそうして累を殺し、あやまって河に落ちて死んだと云って、その死骸しがいを背負うて家に帰り、隣の人の手を借りて旦那寺だんなでら法蔵寺ほうぞうじの墓地に埋葬した。
累物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
五月下旬の或る曇日の午後、山城屋の旦那寺だんなでらの泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達にまもられながら葬列の中ほどをつて歩いた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
旦那寺だんなでらの和尚は勿論もちろん、又私が漢学塾に修業して、その塾中に諸国諸宗の書生坊主が居て、毎度私処に遊びに来れば、母は悦んでこれ取持とりもっ馳走ちそうでもすると云うようなふう
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
旦那寺だんなでらなれば北高和尚をむかへてくわんをいだし、親族しんぞくはさら也人々蓑笠みのかさに雪をしのぎておくりゆく。
平吉夫にては手前の心にすまず平に御受納下されよとて受取ざれば是非無ぜひなく富右衞門も右の百兩をもらひ受夫より我が旦那寺だんなでらいたりて是ををさめ惡人ながらも不便ふびんなりとて畔倉重四郎を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
旦那寺だんなでらなれば北高和尚をむかへてくわんをいだし、親族しんぞくはさら也人々蓑笠みのかさに雪をしのぎておくりゆく。
頼み其のち先祖せんぞ菩提ぼだいの爲とて旦那寺だんなでらに於て大施餓鬼おほせがきを取行ひ杉戸屋富右衞門世話人がしらなり修行しゆぎやう致しけりさて富右衞門は隱居いんきよなし家督かとく親類しんるゐより相應さうおうなる者を呼入て杉戸屋の家名を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)