かたわら)” の例文
これは初め錦江が冷泉れいぜい家について和歌を学んだので、その子孫は世〻儒学を修むるかたわら、国風をも伝えてその家学となしていた故である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すると深田寺は失笑してかたわらの坊主に向ひ、この仁は見覚えがないと言ふが、知らないふりをするのは奇妙千万なと語つて
山田脩はこの年電信学校にって、松本町の家から通った。くがの勝久が長唄を人に教うるかたわら、音楽取調所の生徒となったのもまたこの年である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
みちかたわらにこれを立て少しくもたれかかるようにしたるに、そのまま石とともにすっと空中にのぼり行く心地ここちしたり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
崑がかしこまってお辞儀をすると、叟はかたわらの者に言いつけて、崑をおこして自分のつくえの旁へ坐らした。
青蛙神 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
御史ぎょし僧をただすに及びて、僧曰く、年九十余、今たゞ祖父のりょうかたわらに葬られんことを思うのみと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私は役人をして、かたわらフランス語の稽古をして暮す。そして時々逢って遠慮のない話をする。二人の間には世間並の友人関係が成り立ったのである。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家のかたわらにあり。家の名を池の端というもそのためなりという。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
山本北山やまもとほくざんもその孝経楼に経書を講ずるのかたわら、詩会を開いてこれを竹堤社となづけた。寛政以後江戸に名を知られた詩人は大抵この三社のいずれかに参したものである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その帰りに小雨にうた。曾はそこで仲間といっしょにかたわらの寺へ入って雨を避けた。
続黄梁 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
折から、他の見物の人がやつて来たので、彼等はつと神父のかたわらを離れ、見物人のやうな顔して彼方此方を眺めはじめた。——これが、日本に於ける切支丹復活の日であつたのである。
島原の乱雑記 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
静岡にあっては、あるいは校長となり、あるいは教頭となり、かたわら新聞記者として、政治を論じた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十八歳にして父を喪いその家を嗣いだが、主家の権臣一柳左京の憎むところとなり、遂に主家を去って赤坂の某処に住し家塾を開き、かたわら板下はんしたを書いてわずかに口をのりしていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
登口のぼりくち鳥居とりい立ち、二三十本の杉の古木あり。そのかたわらにはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山の神出づと言い伝うるところなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ほとんどそのまゝ所持致をり候事故、当山の御厄介に相なり候に付いては、またもやそのかくし場所に困りをり候処、唯今にても当寺表惣門おもてそうもんかたわらに立ちをり候えのきの大木に目をつけ、夜中やちゅう攀上よじのぼ
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そこで国へ帰って小学校の教員でもしようかと思っている。しかし教員になるにしても、そのかたわら何か遣りたい。西洋の学問をするには、素養が不十分な上に、新しい本を買うのは容易でない。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
岡本况斎、名は保孝ほうこう、通称は初め勘右衛門かんえもん、後縫殿助ぬいのすけであった。拙誠堂せつせいどうの別号がある。幕府の儒員に列せられた。『荀子じゅんし』、『韓非子かんぴし』、『淮南子えなんじ』等の考証を作り、かたわら国典にも通じていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)