)” の例文
七三君は賢弟と南おもてえきして遊ばせ給ふ。掃守かもりかたはらに侍りて七四このみくらふ。文四がもて来し大魚まなを見て、人々大いにでさせ給ふ。
桐壺の最後には、「光君といふ名は、高麗人こまびとで聞えて、つけ奉りけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
その姿容かたち端正うつくしきでたまひて、すなはち建内たけしうち宿禰すくねの大臣にあとらへてのりたまはく、「この日向よりし上げたまへる髮長かみなが比賣は、天皇の大御所みもとに請ひ白して、あれに賜はしめよ」
人々大いにあやしみ、師が物がたりにつきて思ふに、八〇其の度ごとに魚の口の動くを見れど、八一更に声を出だす事なし。
ここに熊曾建くまそたける兄弟二人、その孃子を見でて、おのが中にせて、盛にうたげつ。
四二兵機へいきのことわりは四三をさをさしく聞えければ、ひとつとして相ともにたがふ心もなく、かつで、かつよろこびて、つひに兄弟のちかひをなす。
それ神の御子といふ所以ゆゑは、三島の湟咋みぞくひが女、名は勢夜陀多良せやだたら比賣、それ容姿麗かほよかりければ、美和の大物主の神、見でて、その美人をとめ大便くそまる時に、丹塗にぬりになりて、その大便まる溝より