徒弟とてい)” の例文
一四一かれ善果ぜんくわもとづきて遷化せんげせしとならば、一四二道に先達せんだちの師ともいふべし。又活きてあるときは一四三我がために一個ひとり徒弟とていなり。
これで病附やみついた東皐子とうくわうしは、翌日よくじつ徒弟とていおよ穴掘あなほり老爺おやぢ同行どうかうして、さかんに發掘はつくつし、朝貌形完全土器あさがほがたくわんぜんどきしたなどは、茶氣ちやき滿々まん/\である。
聞居られしが其後そののちかれが弟願山の事におよび江戸表のてらは何方の徒弟とていなるやとたゞさるゝに至りて多兵衞はハツと心付おほいに狼狽うろたへ樣子やうす
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
勇將ゆうしやう傑僧けつそうまたおなじ。むかし行簡禪師ぎやうかんぜんじ天台智大師てんだいちだいし徒弟とていたり。或時あるとき群盜ぐんたううてかうべらる。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
宅では、徒弟とていとしてお預かりするんですからってね。徒弟だって、六、七年は仕込まなければ一人前に成りやしないのよ。それまでは丁稚奉公のつもりでいて貰わなくちゃあ
景城けいじょうの南に古寺があった。あたりに人家もなく、その寺に住職と二人の徒弟とていが住んでいたが、いずれもぼんやりした者どもで、わずかに仏前に香火を供うるのほかには能がないように見られた。
ペンキ屋徒弟とてい
植物医師:郷土喜劇 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
一七徒弟とてい友どちあつまりて嘆き惜しみけるが、只一八心頭むねのあたりのすこし暖かなるにぞ、一九しやと二〇居めぐりて守りつも三日をにけるに、手足すこし動き出づるやうなりしが
仙人せんにん徒弟とていぐらゐにはかんずる。
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
老和尚これをとらへて、徒弟とていささげたる三八八鉄鉢てつばちれ給ふ。