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岐
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ちまた
ふりがな文庫
“
岐
(
ちまた
)” の例文
斯くて「小田原城中群疑蜂起し、不和の
岐
(
ちまた
)
となつて、兄は弟を疑ひ、弟は兄を隔て出けるに因て、父子兄弟の間も
睦
(
むつま
)
じからず、
況
(
いわん
)
や其余をや」
小田原陣
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
なほ御
四五
跡をしたうて
責討
(
せめう
)
てば、
古郷
(
ふるさと
)
の
辺
(
ほと
)
りは
四六
干戈
(
かんくわ
)
みちみちて、
四七
涿鹿
(
たくろく
)
の
岐
(
ちまた
)
となりしよしを
四八
いひはやす。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
当時政治が鎖国開国の
岐
(
ちまた
)
に臨んでゐた如くに、医方も亦漢方洋方の岐に臨んでゐた。正弘は彼に於て概ね開国論に左袒し、伊沢
美作守政義
(
みまさかのかみまさよし
)
の洋行の議をさへ容れた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
つく/″\静かに
思惟
(
しゆゐ
)
すれば、我
憲清
(
のりきよ
)
と呼ばれし頃は、力を文武の道に
労
(
つか
)
らし命を寵辱の
岐
(
ちまた
)
に懸け、
密
(
ひそ
)
かに自ら我をば
負
(
たの
)
み、老病死苦の
免
(
ゆる
)
さぬ身をもて
貪瞋痴毒
(
とんじんちどく
)
の
業
(
ごふ
)
をつくり
二日物語
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
一〇九 盆の頃には雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道の
岐
(
ちまた
)
に送り行きて立つ。紙にて顔を描き、
瓜
(
うり
)
にて陰陽の形を作り添へなどす。虫祭の藁人形にはかかることはなくその形も小さし。
遠野物語
(新字旧仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
本
(
もと
)
より
此
(
こ
)
の異僧道衍は、死生禍福の
岐
(
ちまた
)
に惑うが如き
未達
(
みだつ
)
の者にはあらず、
膽
(
きも
)
に毛も
生
(
お
)
いたるべき不敵の
逸物
(
いちもつ
)
なれば、さきに燕王を勧めて事を起さしめんとしける時、燕王、彼は天子なり
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
一〇九 盆のころには雨風祭とて
藁
(
わら
)
にて人よりも大なる
人形
(
にんぎょう
)
を作り、道の
岐
(
ちまた
)
に送り行きて立つ。紙にて顔を
描
(
えが
)
き
瓜
(
うり
)
にて陰陽の形を作り添えなどす。虫祭の藁人形にはかかることはなくその形も小さし。
遠野物語
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
“岐”の解説
岐(き、901年 - 924年または946年)は、中国五代十国時代に鳳翔を中心に現在の陝西・甘粛・四川の一部地域を支配した国。建国者は李茂貞(856年 - 924年、初名は宋文通)。ただし、いわゆる「十国」からは除外されている。
(出典:Wikipedia)
岐
常用漢字
小4
部首:⼭
7画
“岐”を含む語句
岐路
岐道
分岐点
岐阜提灯
隠岐
八岐
二岐
讃岐
分岐
岐比佐都美
分岐道
伊邪那岐大神
両岐
阿岐豆野
土岐多良
阿羅岐
壱岐
岐阜
土岐
隠岐守
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