寺院おてら)” の例文
藤木家の寺院おてらは、浅草菊屋橋のほとりにあって、堂々とした、そのくせ閑雅な、広い庫裏くりをもち、やぶをもち、かなり墓地も手広かった。
子供と一緒に近くにある禅宗の寺院おてらを訪ねた時、幽寂しずかな庭に添うた廻廊で節子を思い出したことを書きつけたところもあった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
秀造さんは上野の(山内さんない寺院おてら)のおちごさんで美貌びぼうで評判だったそうだ。振袖姿で吉原へ通って、吉原雀というあだ名だった。
古い寺院おてらにでも見るような青苔あおごけえた庭の奥まったところにある離座敷はなれに行って着いた人達は、早く届いた荷物と一緒に岸本を待っていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
障子の嵌玻璃はめガラスを通して射し込む光線はその部屋の中を寺院おてらのやうに静かに見せて居る。そこは夫人の姉さんがまだ斯世に居た頃の居間の光景さまだ。
灯火 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ある日、あたしは母の父の顔を穴のあくほどじっと見た。この老爺おじいさんは寺院おてらで見る大木魚おおもくぎょのような顔をしていた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
岸本がこの寺院おてらを出て、ポン・ナフの石橋のたもとへかかった頃は、まだ空はいくらか明るかった。ヴィエンヌ河の両岸にあるものは皆水に映っていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
手習いがいやなのではなく、寺院おてら夫人だいこくさんが、針ばかりもたせようとするのが嫌だったのだ。もっとも、近松ちかまつ西鶴さいかくの生ていた時代に遠くなく、もっとも義太夫ぶし膾炙かいしゃしていた京阪けいはん地方である。
窓のところへ行くと、例のあかい花が日にしおれて見える。そのうちに三吉は窓の戸も閉めて了った。家の内は、寺院おてらにでも居るようにシンカンとして来た。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大牢ろうのあった方のみぞを埋めて、その側の表に面した方へ、新高野山大安楽寺こうぼうさま身延山久遠寺にちれんさまと、村雲別院むらくもさまと、円光大師寺えんこうだいしさまの四ツの寺院おてら建立こんりゅうし、以前もとの表門の口が憲兵屯所とんしょで、ぐるりをとりまいたが
旧聞日本橋:17 牢屋の原 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
急に周囲そこいら闃寂しんかんとして来た。寺院おてらのように人気ひとけが無かった。お種は炉辺ろばたに坐ってひとりで静かに留守居をした。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
春蚕はるこが済む頃は、やがて土地では、祇園祭ぎおんまつりの季節を迎える。この町で養蚕をしない家は、指折るほどしか無い。寺院おてら僧侶ぼうさんすらそれを一年の主なる収入に数える。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
由緒ゆいしょのある大きな寺院おてらへ行くと、案内の小坊主が古い壁に掛った絵の前へ参詣人さんけいにんを連れて行って、僧侶ぼうさんの一生を説明して聞かせるように、丁度三吉が肉体から起って来る苦痛は
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)