姉妹はらから)” の例文
稚きより睦びあへりし姉妹はらからのちぎりもかくは一朝にして絶え果てき。そが上君が哀傷を聞けば狭き胸のうちいよ/\堪うまじくなりぬ。
『聊斎志異』より (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
げに治子の姉妹はらからなりと言わんもわれいかでたやすく疑いべき、ことに最初わが方を振り向きし時のまなざしは治子のと少しもたがわず
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ちゅう博士がこの姉妹はらからふたりを並べて、ませ子は部屋で見る女、栄子は舞台で見る女といったというが、わたしは、老年の衷氏の前にいる欣々女史は孫
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
守護まもり給ふ物成らんと又妹お富も長庵にあざむかれて此丁字屋へうられ來しかば姉妹はらから手と手を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
俳優やくしゃのうちに久米五郎くめごろうとてまれなる美男まじれりちょう噂島の娘らが間に高しとききぬ、いかにと若者姉妹はらからに向かっていえば二人は顔赤らめ、老婦おうなは大声に笑いぬ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
聞よりも思はず知らず聲をあげわつとばかりに泣沈なきしづむ母の横死わうしの有樣がに見る樣に思はれて姉妹はらから二人が心のうちあはれと言も餘りあり又長庵は是を聞是三次何を云夫は幾度いくたび云てもおのれが殺した話し夫を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
武子さんは暹羅シャムの皇太子に入輿にゅうよの儀が会議され——明治の初期に、日支親善のため、東本願寺の光瑩こうけい上人の姉妹はらからが、しん帝との縁組の交渉は内々進んでいたのに沙汰さたやみになったが——武子さんのは
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「紀州連れてこのたびの芝居見る心はなきか」かくいいし若者は源叔父あざけらんとにはあらで、島の娘の笑い顔見たきなり。姉妹はらからは源叔父に気兼きがねして微笑ほほえみしのみ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
かくされ給ふよし然樣さやうにては跡々あと/\仕樣しやうも御座なく母樣はゝさま御一人にておこまり成るゝは申迄もなく元はわらは姉妹はらから二人を斯樣に御育下おそだてくだされ候よりお物入ものいり多く夫ゆゑ御難儀にも相成し事なればかずならねども私しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
霧雨きりあめのなごり冷ややかに顔をかすめし時、一陣の風木立ちを過ぎて夕闇うそぶきし時、この切那せつなわれはこの姉妹はらからの行く末のいかに浅ましきやをあざやかに見たる心地せり。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
源叔父は五人の客乗せてともづな解かんとす、三人の若者駈けきたりて乗りこめば舟には人満ちたり。島にかえる娘二人は姉妹はらかららしく、頭に手拭てぬぐいかぶり手に小さき包み持ちぬ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
姉妹はらから共に色あおざめたれど楽しげなり。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)