太原たいげん)” の例文
太原たいげんの人、王子珍、父母の勧めにより、定州の辺孝先先生に学ばんとて旅立った。辺先生は漢代高名の大儒で、孔子歿後ただ一人と称せらる。
太原たいげん雪斎和尚は、今川家にすれば、黒衣の軍師であり、元康にとっては、幼少から薫陶くんとうをうけた学問兵法の師であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隴西ろうせい李白りはく襄陽じょうよう杜甫とほが出て、天下の能事を尽した後に太原たいげん白居易はくきょいいで起って、古今の人情を曲尽きょくじんし、長恨歌ちょうこんか琵琶行びわこうは戸ごとにそらんぜられた。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
太原たいげんの商人に石憲せきけんという者があった。唐の長慶ちょうけい二年の夏、北方へあきないに行って、雁門関がんもんかんを出た。
僕はだんだん引き入れられるやうに一つ一つケースをのぞいて廻つた。洛陽らくようだの太原たいげんだの西安せいあんだのから来たものが多い。北魏ほくぎの石の仏頭は、スフィンクスみたいな表情をしてゐた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
さらに開元二十三年、太原たいげん方面に悠遊した。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
郝昭は太原たいげんの人、忠心凛々りんりんたる武人の典型である。その士卒もみな強く、くに先だって、鎮西将軍の印綬いんじゅを拝し
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
温は大中元年に、三十歳で太原たいげんから出て、始て進士のに応じた。自己の詩文はしょく一寸をもやさぬうちに成ったので、隣席のものが呻吟しんぎんするのを見て、これに手をしてった。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
厳綬げんじゅが治めていた太原たいげん市中の出来事である。
りょうを亡ぼしたきん(満州族)は、やがて太原たいげん燕京えんけい席捲せっけんして、ついに開封かいほう汴城べんじょうの都にせまり、徽宗きそう皇帝からきさきや太子や皇族までを捕虜として北満の荒野にらっし去った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)