大身たいしん)” の例文
その中には、大身たいしんから贈る祝い物であろう、これ見よがしにしもべになわせて、月輪殿つきのわどのを訪れるらしい幾荷いくか吊台つりだいも通って行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
単に旗本というばかりで身分を明かさず、大身たいしんかと思えば小身のようでもあり、話の都合で曖昧あいまいに拵えてある。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「亡くなった母が云ったことだけれど、女はどんな大身たいしんの生れでも、自分の着物は自分で縫うもんだそうだよ」
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
大尽金というのは大身たいしんや金持の若旦那なんぞが、親や家来に内緒ないしょで遊ぶ金を貸すんですね、これは思い切って高い利息を取って、そうして取りはずれのない仕事、ナニ
「四谷伊賀町に、三千石の大身たいしんで伊賀井大三郎様という旗本がありますがね、無役むやくで裕福で、若くてい男で、奥方がみっともなくて、道楽強いと来てるからたまりませんや」
声の主は笑止なことに身分柄もわきまえず、大身たいしん旗本のこの名物男早乙女主水之介に、もう久しい前から及ばぬ恋慕をよせている、そこの淡路楼と言う家の散茶女郎さんちゃじょろう水浪みずなみでした。
おいどうした、陶器師殿、やせ我慢なら止めるがいい。権式張るならおいてくれ。なるほど昔の俺らなら、位置の高下もあったろう。俺はわずかに蔵奉行、お前は素晴しい大身たいしんだ。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
媒人なこうどたる名古屋因幡守なごやいなばのかみは主筋であり大身たいしんに過ぎるので、こちらから辞退して、御家臣のなにがしが夫妻で、今夜は手伝いがてら見えているらしい。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大身たいしんの子息であるから、かれは山崎平助という二十七歳の中小姓ちゅうごしょうと、又蔵という中間とを供につれて出た。
半七捕物帳:11 朝顔屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「あれで身許さえはっきりしていれば」と吉塚はさらに続けた、「どんな大身たいしん輿入こしいれをされても、決して恥ずかしくないでしょう、まことに惜しいようなお人柄です」
その木戸を通って (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それですから、ひと通り以上に馬術を稽古するのは、馬に乗ることが好きだという人で、云わば本人の道楽です。神原は三千石の大身たいしんで、馬に乗るのが大好きでした。
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
年月長くれ過ぎた夫婦を見い。良人が何を働いているか知らぬ妻。良人がいかに欣ばせようと苦しんでも欣べない女房どもが、軽輩にはないが、大身たいしん方の奥ほど多い。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武家で二千石というと大身たいしんのほうで、家来小者の数も少なくはない、家政のきりまわしも粗忽そこつなことではむつかしいのである、加代は若いけれども姑の指導をまもってよく働いた。
日本婦道記:梅咲きぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
五百石以上となれば立派なお歴々で、千石以上となれば大身たいしん、それこそ大威張りのお殿様です。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小町、若宮などの大路附近の邸はもちろん、遠くは七切通ななきりどおし、谷々やつやつの屋敷からも、やがて不時の召にこたえて出た大身たいしんたちが、ぞくぞく、柳営内の駒ツナギに下馬しては
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は大身たいしんの武家の若さまである、もしかすると大名の若殿であるかもしれない。いや、たしかに若殿にちがいない。ところが悪い家来がいて、お家の中がみだれて、彼は危うく毒殺されそうになる。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
黒沼家は千二百石の大身たいしんで、屋敷のうちには用人、給人、中小姓、足軽、中間のほかに、乳母、腰元、台所働きの女中などをあわせて、上下二十幾人の男女が住んでいるが
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
やがて足利の世となったら大身たいしんに取立てて迎えてやる。……いくら武者輩むしゃばらの仲間でも、天皇の御子みこやいばにかけたとうの者となっては、自然たれからも白眼視され、きらわれぬものではない
どこか大身たいしんの武家の道楽息子、とでもいうような人柄にみえた。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
よそながら其の品の出所しゅっしょをたずねると、牛込赤城下あかぎしたのある大身たいしんの屋敷から内密の払いものであるが、重代の品を手放したなどということが世間にきこえては迷惑であるから
半七捕物帳:27 化け銀杏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そして、どんな大身たいしんも、ここでは一被告か一原告である。三名以上の供は連れて入れない。もちろん義貞も、部下を大町小路にとどめ、規定の従者だけを伴って、所内の装束屋敷に入った。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
稲川は千五百石の大身たいしんで、その用人の石田源右衛門が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷へ通させて、主人の重兵衛が挨拶に出ると
半七捕物帳:27 化け銀杏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「ば、ばかなことを、いいなさんな。あいては、大身たいしんの武家やしき」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし相手が大身たいしんの旗本ですから、町方が迂濶に手を出すことは出来ません。
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)