塔頭たっちゅう)” の例文
俗に「伊豆さま裏」と呼ばれるその一帯の土地は、松平伊豆守いずのかみの広い中屋敷と、寛永寺の塔頭たっちゅうはさまれて、ほぼ南北に長く延びていた。
赤ひげ診療譚:06 鶯ばか (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
阿弥陀院というのは、法隆寺の塔頭たっちゅうの一つで、ほんの小さい民家くらいの家であった。しかも近年無住になっていたとかで、思い切り荒れていた。
壁画摸写 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
玄浴主は深井じんじ坊という塔頭たっちゅうに住んでいる。いわゆる堂衆の一人である。堂衆といえば南都では学匠のことだが、それを浴主などというのは可笑おかしい。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
白眼に家康を見て帰った晩年の山楽が、池田新太郎少将のこしらえた京都妙心寺の塔頭たっちゅう天球院のために、精力を傾注しているのは面白いじゃないか。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
わざわざ注意があったので、宗助は礼を云って手紙を受取りながら、侍者じしゃだの塔頭たっちゅうだのという自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて帰ったのである。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この庄からの収入をも、三条西家ではやはり青女どもの給分に宛てておったのであるが、これを受領するには直接ではなく、建仁寺の塔頭たっちゅう大昌院を経由した。
此の人はもと知恩院塔頭たっちゅうの住職であつたのが、その頃或る事件から寺を捨てゝ還俗することになり、自分の用件を兼ねて名古屋まで私を送つてくれたのである。
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
元は近くの大きな寺の塔頭たっちゅうの一つであったのだろうが、それは或る大名の菩提所で、今は其の家の控邸ひかえやしきになって居て、乳鋲にゅうびょうのついた扉のある大きな開き門をはいると、境内はかなり広く
次には、女人結界にょにんけっかいを犯して、境内深く這入はいった罪は、郎女いらつめ自身にあがなわさねばならなかった。落慶のあったばかりの浄域だけに、一時は、塔頭たっちゅう塔頭の人たちの、青くなったのも、道理である。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
この寮の庭は京都の建仁寺塔頭たっちゅうの一つ、霊洞院の庭を摸したという話です。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「妙心寺の塔頭たっちゅう大心院の御僧、漸蔵主ぜんぞうすでおざる」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄浴主は深井じんじ坊といふ塔頭たっちゅうに住んでゐる。いはゆる堂衆の一人である。堂衆といへば南都では学匠のことだが、それを浴主などといふのは可笑おかしい。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
顔もまるく、たくましく濃い眉と、大きな眼とが、荒法師といった感じにみえるし、実際にも増上寺塔頭たっちゅうのなかでは、相当にらみのきく存在のようであった。
おぼろ月というのは、春に限ったものだが、ここ大原の里には、秋も月がおぼろに出ると、それに浮かれて二つの蝶が寂光院の塔頭たっちゅうから舞い出でました。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いわゆる五山ごさんなるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺えんがくじ塔頭たっちゅうであったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、法衣ころもを着た
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
寂光院の塔頭たっちゅうに新たなるいおりを結んだ、一人の由緒ゆいしょある尼法師、人は称して、阿波あわつぼねの後身だとも言うし、島原の太夫の身のなる果てだと言う者もあります。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
良源院は増上寺の塔頭たっちゅうで、伊達家の宿坊になっていた。増上寺で将軍家の年忌行事などのあるとき、それに列する藩主や重臣が、そこで装束を改めたり休息したりするのである。
けれども程なく十月の三日には、その相国寺の大伽藍だいがらんおびただしい塔頭たっちゅう諸院ともども、一日にして悉皆しっかい炎上いたしたのでございます。山名方の悪僧が敵に語らわれて懸けた火だと申します。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
この間まで侍者じしゃをしていましたが、この頃では塔頭たっちゅうにある古い庵室に手を
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
けれども程なく十月の三日には、その相国寺の大伽藍だいがらんおびただしい塔頭たっちゅう諸院ともども、一日にして悉皆しっかい炎上いたしたのでございます。山名方の悪僧が敵に語らはれて懸けた火だと申します。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)