唯有とあ)” の例文
お隅の父親おやじがこの男と同じ書記仲間で大屋の登記役場に勤めている時分——お隅も大屋へ来て、唯有とある家に奉公していました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
青山高樹町のうちをぶらりと出た彼等夫婦は、まだ工事中の玉川電鉄の線路を三軒茶屋まで歩いた。唯有とあ饂飩屋うどんやに腰かけて、昼飯がわりに饂飩を食った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それでも、學生の漕いで行く小さなボートの影や、若い夫婦の遊山舟も一つ二つ見えた。舟を唯有とある岸に寄せて、殊に美しい山葡萄の紅葉を摘むで宿に歸つた。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
留りては裂き、行きては裂き、裂きて裂きて寸々すんずんしけるを、又引捩ひきねぢりては歩み、歩みては引捩りしが、はや行くもくるしく、後様うしろさま唯有とあ冬青もちの樹に寄添へり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
唯有とある店で、妻は草履ぞうりを買うて、靴をぬぎ、三里近い路をとぼ/\歩いて、漸く電燈の明るい新宿へ来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
唯有とある人家に立寄つて、井戸の水をもらつて飮む。桔※はねつるべ釣瓶つるべはバケツで、井戸側はわたり三尺もある桂の丸木の中をくりぬいたのである。一丈餘もある水際までぶつ通しらしい。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
唯有とある横町を西に切れて、なにがしの神社の石の玉垣たまがきに沿ひて、だらだらとのぼる道狭く、しげき木立に南をふさがれて、残れる雪の夥多おびただしきが泥交どろまじりに踏散されたるを、くだんの車は曳々えいえい挽上ひきあげて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
それでも、学生のいで行く小さなボートの影や、若い夫婦の遊山舟ゆさんぶねも一つ二つ見えた。舟を唯有とある岸に寄せて、ことに美しい山葡萄の紅葉を摘んで宿に帰った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
唯有とある小路の湯屋は仕舞を急ぎて、廂間ひあはひの下水口より噴出ふきいづる湯気は一団の白き雲を舞立てて、心地悪き微温ぬくもりの四方にあふるるとともに、垢臭あかくさき悪気のさかんほとばしるにへる綱引の車あり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)