兼帯けんたい)” の例文
旧字:兼帶
顔を洗うのもそこそこにして、部屋へやにもどり、朝昼兼帯けんたいの飯を喰いながら、妻から来た手紙を読んで見た。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
慶長二年に父の吉次が死んで吉之丞の代になると、二度目の朝鮮征伐に義弘について泗川しせんに行き、粮米荷頭ろうまいにがしらと小荷駄才領を兼帯けんたいでやり、矢丸やだまの下を駆けまわった。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
医者いしや内弟子うちでし薬局やくきよく拭掃除ふきさうぢもすれば総菜畠さうざいばたけいもる、ちかところへは車夫しやふつとめた、下男げなん兼帯けんたい熊蔵くまざうといふ、其頃そのころ二十四五さい稀塩散きゑんさん単舎利別たんしやりべつぜたのをびんぬすんで
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
もっとも天にも地にもたった一人暮し、取次も、主人も兼帯けんたいの貧乏浪人でもあったのです。
わたしたちは朝飯あさめしを食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と晩食ばんしょくを食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方兼帯けんたいの昼食を食べて、満足まんぞくしなければならなかった。
料理屋をめまして、只今では表長屋を人に貸しまして、せがれは向島の武藏屋むさしやへ番頭と料理人兼帯けんたいで頼まれて往って居ります、旦那様はお宅をお払いになりまして、差当り御当惑なさいましょう
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
といい付け、そうこうするうちに支度も整いましたから、酒肴さけさかなを座敷に取並べ、媒妁なこうどなり親なり兼帯けんたいにて、相川が四海浪静かにとうたい、三々九度の盃事さかずきごと、祝言の礼も果て、ずお開きと云う事になる。