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児島
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こじま
ふりがな文庫
“
児島
(
こじま
)” の例文
旧字:
兒島
死罪を一等免ぜられて、
備前
(
びぜん
)
の
児島
(
こじま
)
へ流罪という知らせであった。同時に、重盛から成親宛の親書があって
現代語訳 平家物語:02 第二巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
先日
(
こなひだ
)
備中
(
びつちゆう
)
酒津
(
さかづ
)
に同じ
画家
(
ゑかき
)
仲間の
児島
(
こじま
)
虎次郎氏を訪ねて、二三日そこに
逗留
(
とうりう
)
してゐたが、満谷氏が
何
(
ど
)
うかすると
押売
(
おしうり
)
に謡ひ出さうとするのを知つてゐる児島氏は
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
わしの
配所
(
はいしょ
)
の
児島
(
こじま
)
と父の配所の
有木
(
ありき
)
の別所とは間近いのです。しかも決してあうことは許されないのです。その欠乏と恥辱との報知だけはしきりに聞こえるけれども。
俊寛
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
「備前
児島
(
こじま
)
の城へ当てて、この春ごろだったか、手紙を出してみたが、何の便りも返ってこぬ」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大伴旅人が大納言に兼任して、京に上る時、多勢の見送人の中に
児島
(
こじま
)
という
遊行女婦
(
うかれめ
)
が居た。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
▼ もっと見る
幸にして備前
児島
(
こじま
)
に
赤木格堂
(
あかぎかくどう
)
あり。元義かつてその地某家に寄寓せし縁故を以て元義の歌の散逸せる者を集めて一巻となしその
真筆
(
しんぴつ
)
十数枚とかの羽生某の文をも
併
(
あわ
)
せて余に示す。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
備前の
児島
(
こじま
)
郡でも同じ草をチンチングサ、
石見
(
いわみ
)
の
鹿足
(
かのあし
)
郡ではカンカン草ともいっている。
野草雑記・野鳥雑記:01 野草雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
波
(
なみ
)
の
上
(
うへ
)
ゆ
見
(
み
)
ゆる
児島
(
こじま
)
の
雲
(
くも
)
隠
(
がく
)
りあな
気衝
(
いきづ
)
かし
相
(
あひ
)
別
(
わか
)
れなば 〔巻八・一四五四〕 笠金村
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
かねてからの申し合せにより、彼が首尾をつたえて、大覚ノ宮や父重明とともに「すぐ
起
(
た
)
つべし」と、うながしに来た人——これがその当面の人なのであろう。
児島
(
こじま
)
備後ノ三郎
高徳
(
たかのり
)
だった。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一方平家は、小松新三位中将資盛、少将有盛、丹後侍従
忠房
(
ただふさ
)
を総大将に、
飛騨
(
ひだの
)
三郎左衛門
景経
(
かげつね
)
、越中次郎兵衛
盛次
(
もりつぐ
)
、
上総
(
かずさの
)
五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清らが、五百艘の船に分乗して備前の
児島
(
こじま
)
に着いた。
現代語訳 平家物語:10 第十巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
柞葉
(
ははそば
)
の母を
念
(
おも
)
へば
児島
(
こじま
)
の海
逢崎
(
おうさき
)
の磯
浪
(
なみ
)
立ちさわぐ
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
備前
児島
(
こじま
)
郡琴浦村大字小田之口字
泉苔
(
いずみこうげ
)
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「じつは、ここより遠からぬ所に、宮方の
児島
(
こじま
)
三郎
高徳
(
たかのり
)
なる者がおりまして」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
備前
児島
(
こじま
)
の城の本丸。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
備前
児島
(
こじま
)
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“児島”の解説
児島(こじま、こしま)は、かつて吉備国および備前国児島郡にあった島嶼、歴史的地名である。吉備児島(きびのこじま、きびのこしま、きび こじま、きび こしま)とも呼ばれる。「吉備」は黄微・機微など、「児」は兒・子・仔、「島」は嶋・嶌・洲などとも表記されることがある。
江戸時代中期頃、海域の新田干拓により陸続きとなり、児島半島となった。当時島嶼であった地域は、現在は岡山県倉敷市南西部から岡山市南区南部、および玉野市に至る。
(出典:Wikipedia)
児
常用漢字
小4
部首:⼉
7画
島
常用漢字
小3
部首:⼭
10画
“児島”で始まる語句
児島高徳
児島惟謙
児島屋勘八
児島三郎高徳