児島こじま)” の例文
旧字:兒島
死罪を一等免ぜられて、備前びぜん児島こじまへ流罪という知らせであった。同時に、重盛から成親宛の親書があって
先日こなひだ備中びつちゆう酒津さかづに同じ画家ゑかき仲間の児島こじま虎次郎氏を訪ねて、二三日そこに逗留とうりうしてゐたが、満谷氏がうかすると押売おしうりに謡ひ出さうとするのを知つてゐる児島氏は
わしの配所はいしょ児島こじまと父の配所の有木ありきの別所とは間近いのです。しかも決してあうことは許されないのです。その欠乏と恥辱との報知だけはしきりに聞こえるけれども。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「備前児島こじまの城へ当てて、この春ごろだったか、手紙を出してみたが、何の便りも返ってこぬ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大伴旅人が大納言に兼任して、京に上る時、多勢の見送人の中に児島こじまという遊行女婦うかれめが居た。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
幸にして備前児島こじま赤木格堂あかぎかくどうあり。元義かつてその地某家に寄寓せし縁故を以て元義の歌の散逸せる者を集めて一巻となしその真筆しんぴつ十数枚とかの羽生某の文をもあわせて余に示す。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
備前の児島こじま郡でも同じ草をチンチングサ、石見いわみ鹿足かのあし郡ではカンカン草ともいっている。
なみうへゆる児島こじまくもがくりあな気衝いきづかしあひわかれなば 〔巻八・一四五四〕 笠金村
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
かねてからの申し合せにより、彼が首尾をつたえて、大覚ノ宮や父重明とともに「すぐつべし」と、うながしに来た人——これがその当面の人なのであろう。児島こじま備後ノ三郎高徳たかのりだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方平家は、小松新三位中将資盛、少将有盛、丹後侍従忠房ただふさを総大将に、飛騨ひだの三郎左衛門景経かげつね、越中次郎兵衛盛次もりつぐ上総かずさの五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清らが、五百艘の船に分乗して備前の児島こじまに着いた。
柞葉ははそばの母をおもへば児島こじまの海逢崎おうさきの磯なみ立ちさわぐ
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
備前児島こじま郡琴浦村大字小田之口字泉苔いずみこうげ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「じつは、ここより遠からぬ所に、宮方の児島こじま三郎高徳たかのりなる者がおりまして」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備前児島こじまの城の本丸。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備前児島こじま
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)