元嘉げんか)” の例文
しかるを、元嘉げんか京洛きやうらく貴婦人きふじん才媛さいゑんは、平時へいじくだん墮馬髻だばきつふ。たとへばまげ片潰かたつぶしてなびつくりてうまよりちてもとゞり横状よこざまくづれたるなり
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
宋の元嘉げんか元年に、建安けんあん郡の山賊百余人が郡内へ襲って来て、民家の財産や女たちを掠奪した。
しかるに南方なんぱう文帝ぶんてい元嘉げんか年中ねんちう京洛きやうらく婦女子ふぢよしみなこと/″\愁眉しうび泣粧きふしやう墮馬髻だばきつ折要歩せつえうほ齲齒笑うしせうをなし、貴賤きせん尊卑そんぴたがひおよばざるをはぢとせり。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
元嘉げんか二十三年六月のことである。ことし十三になる尹氏の子供が、小作の小屋の番をしていると、一人の男が来た。男は年ごろ二十はたちぐらいで、白い馬にってかさをささせていた。
そう(南朝)の元嘉げんか年間のはじめである。富陽ふようの人、おうという男がかにを捕るために、河のなかへやなを作って置いて、あくる朝それを見にゆくと、長さ二尺ほどの材木が籪のなかに横たわっていた。