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傷寒
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しょうかん
ふりがな文庫
“
傷寒
(
しょうかん
)” の例文
九七
飯豊
(
いいで
)
の菊池
松之丞
(
まつのじょう
)
という人
傷寒
(
しょうかん
)
を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて
菩提寺
(
ぼだいじ
)
なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。
遠野物語
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
原因はどこにあるかわかりませんが、広い意味で、
傷寒
(
しょうかん
)
の一種といっていいでしょう。それにかなりの心労もありますからな。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
人の好い医者を頼んで見て貰うと、
傷寒
(
しょうかん
)
だと云った。それは熱が高いので、
譫語
(
うわこと
)
に「こら待て」だの「逃がすものか」だのと叫んだからである。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
どうも少し
傷寒
(
しょうかん
)
の
性
(
たち
)
だから大事にするようにと仰しゃって、今日はお加減が違いましたからこれから煎じます
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
医者さまは風邪を引いたのだというが、熱がひどいので
傷寒
(
しょうかん
)
にでもならにゃあいいがと心配しているのだ。
恨みの蠑螺
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
見るに、
傷寒
(
しょうかん
)
か破傷風。……この前の四人を見ていませんからはっきりしたことも言えませんが、どうもそのへんのところかと思われます。……椿庵先生、あなたのお診断は?
顎十郎捕物帳:24 蠑螈
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
空々寂々
(
くうくうじゃくじゃく
)
チンプンカンの講釈を
聞
(
きい
)
て、その中で古く
手垢
(
てあか
)
の
附
(
つい
)
てる
奴
(
やつ
)
が塾長だ。こんな奴等が二千年来
垢染
(
あかじ
)
みた
傷寒
(
しょうかん
)
論を土産にして、国に
帰
(
かえっ
)
て人を殺すとは恐ろしいじゃないか。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
医師に掛かると、
傷寒
(
しょうかん
)
の軽いのだということだったが、今日でいえば
腸
(
ちょう
)
チブスであった。お
医師
(
いしゃ
)
は漢法で
柳橋
(
やなぎばし
)
の古川という上手な人でした。前後二月半ほども床に
就
(
つ
)
いていました。
幕末維新懐古談:26 店初まっての大作をしたはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
ふと
傷寒
(
しょうかん
)
を病んで、曹丕は長逝した。まだ年四十という若さであった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中江川平太夫は
白虎
(
びゃっこ
)
の
平太
(
へいた
)
と異名を取った大盗賊で、三十代に
傷寒
(
しょうかん
)
を患って頭の毛は真っ白になりましたが、年はまだ四十そこそこ、ヨボヨボどころか恐ろしい体術の達人で、猿のように
梁
(
はり
)
を渡り
銭形平次捕物控:077 八五郎の恋
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
あるいは仏罰でもござりましょうか。昨年の二月、延光は
流行
(
はやり
)
かぜから
傷寒
(
しょうかん
)
になりまして、三日ばかりで世を去りました。延光が歿しましたので、唯今の俊乗がそのあとを継いで役僧を
半七捕物帳:66 地蔵は踊る
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
十七や十八で
児
(
こ
)
を
拵
(
こしら
)
える位だから碌なものではありません、其の翌年金五郎は
傷寒
(
しょうかん
)
を
煩
(
わず
)
らって
遂
(
つい
)
に
亡
(
なく
)
なりましたが、
年端
(
としは
)
もゆかぬに亭主には
死別
(
しにわか
)
れ、子持ではどうする事も出来ませんのさ
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
何うやら
斯
(
こ
)
うやらやっているうち、時藏は
傷寒
(
しょうかん
)
を
煩
(
わずら
)
って死んでしまい、金はなくなって来た処から、ついふら/\と出来心で泥坊をやったが
病付
(
やみつき
)
となり、此の
間道
(
かんどう
)
はよく宇都宮の女郎を連れて
怪談牡丹灯籠:04 怪談牡丹灯籠
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
傷
常用漢字
小6
部首:⼈
13画
寒
常用漢字
小3
部首:⼧
12画
“傷寒”で始まる語句
傷寒論