余輩よはい)” の例文
余輩よはいいまだ仏教の熱心家にして教理のために大事業を企てし人あるを聞かず、釈氏しゃくしの理想上の人物は決して事業家にはあらざりしなり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ひと余輩よはい所謂いわゆる藩の岸上に立つ者なれば、望観ぼうかんするところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、いささかその望観のままをしるしたるのみ。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
余輩よはいはんとほつするところのものは』と憤激ふんげきしてドードてうひました、『吾々われ/\かわかせる唯一ゆゐいつ方法はうはふ候補コーカス競爭レース西洋せいやうおにごつこ)である』
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
余輩よはいの村田翁の門下に教を請うや、翁従容しょうようとしてのたまわく、けいらの如き、石仏を麻縄にて縛りたる如き、究屈なる学問をなして、何の効かある。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
旧藩地に私立の学校をもうくるは余輩よはいの多年企望きぼうするところにして、すでに中津にも旧知事の分禄ぶんろくと旧官員の周旋しゅうせんとによりて一校を立て、その仕組、もとより貧小なれども
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ああたれか神意と自然の法則とを区別し得るものあらんや、神もし余の愛するものをかさんと欲せば自然の法則によりて活かせしのみ、余輩よはい神を信ずるものはこれによりて神に謝す
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
明治五年さる五月朔日ついたち、社友早矢仕はやし氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれをうにいとまあらず、博覧会の見物ももと余輩よはい上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
余輩よはいもとより市学校に入らざる者を見て悉皆しっかいこれを門閥守旧の人というに非ず。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)