余処よそ)” の例文
旧字:餘處
然るに此男子をば余処よそにして独り女子を警しむ、念入りたる教訓にして有難しとは申しながら、比較的に方角違いと言う可きのみ。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
何ういう心であるか、余処よそながら見て置かねばならぬ。もし間違って、此方こちらの察した通りでなかったならば、其れこそ幸いだが。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
児玉 馬鹿、余処よそへ来て、そんなことをいふもんぢやない。なか/\洒落た住居だ、これや……。しかし、惜いことに、地震と来たら、剣呑けんのんだね。
五月晴れ (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
ある夏此児このこが両親と避暑に余処よそへ行つて居升たが、近処に美事な大きい湖水があるので、父は小舟を借りては其児そのこの母と其児を載せ、うららかなる日や
鼻で鱒を釣つた話(実事) (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
ポチは大様おおようだから、余処よその犬が自分の食器へ首を突込んだとて、おこらない。黙って快く食わせて置く。が、ひとの食うのを見て自分も食気附しょくきづく時がある。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
承知の上で、何にも知らんふりをしてくれるのは、やっぱりあの時の事を、世間並に、私が余処よその夫人を誘って、心中を仕損しそくなった、とそう思っているからです。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それだけの恐ろしい目に会わなかったことを実に仕合わせに有難くは思うが、万事が落付くまで、生れた東京の苦しみを余処よそにのんべんだらりとしてはいたくない。
私の覚え書 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
出稼ぎして諸方を彷徨うろついてゐた方が、ひもじいおもひをしない、寝泊ねどまりする処にも困らない。生れた村には食物くひもの欠乏たりなくてみんな難渋なんじふしてゐるけれど、余処よそ其程それほどでもない。
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
「そんな覚えはないよ、きみが余処よそから仕入れて来たんじゃないか。」
蜜のあわれ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
夫が妻の辛苦を余処よそに見て安閑あんかんたるこそ人倫の罪にして恥ず可きのみならず、其表面を装うが如きは勇気なき痴漢バカモノと言う可し。
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
といって、余処よそのお祖母ばあさんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃しきりが出来て、此方こっちは明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしにこわかった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
エイ、はいつてませうよ、でも舟がいけば驚ろいて余処よそへ逃げてつてしまひ升だらうよ。
鼻で鱒を釣つた話(実事) (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
と、またころりと横になりながら、心からそう思って、余りうるさく訊くのも、却って女の痛心こころに対して察しの無いことだから、さも余処よその女のことのように言ってまたしても斯う尋ねて見た。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
家内の取締は扨置き子供の教育さえ余処よそにすると同時に、夫の不義不品行をも余処に見てあたかも平気なる者なきに非ず。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ちッぽけなむくむくしたのが重なり合って、首をもちゃげて、ミイミイと乳房を探している所へ、親犬が余処よそから帰って来て、其側そのそばへドサリと横になり、片端かたはしから抱え込んでベロベロなめると
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
我輩は右の話を聞て余処よその事とは思わず、新日本の一大汚点を摘発せられて慚愧ざんきあたか市朝しちょうむちうたるゝが如し。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)