京阪けいはん)” の例文
東京に、もし京阪けいはんのような食道楽くいどうらくが発達していたら、おそらく、今日までまぐろの茶漬けを見逃してはいなかったであろう。
鮪の茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
しかしこれはおもに江戸の芸術であり、風俗である。京阪けいはん移殖いしょくの美人型が、ようやく、江戸根生ねおいの個性あるものとなったのだった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
京阪けいはん地方位い特殊な言葉を使っている部分も珍らしいと思う。それも文明の中心地帯でありながら、日本の国語とは全く違った話を日常続けているのである。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
京阪けいはん周囲の村々でも、ケンズイという名はもう知らぬ人ができて、市街地同様にお茶という語がよく通じ、前茶まえちゃあさお茶・四つ茶というのが午前の茶のこと
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
お絹たちは京阪けいはん地方へも、たいてい遊びに行っていて、名所や宿屋や劇場のことなぞも知っていた。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
この趣向は飛抜けて奇抜だつたので、たちまち京阪けいはんの遊び仲間の評判になつた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
それで安直みせと来ていますから滅法な流行りかた、このうち小主水こもんどと呼ばれて全盛な娼妓がある、生れはなんでも京阪けいはん地方だと申すことで、お客を大切だいじにするが一つのよびものになっています。
武男たけお君」は悲しんだ事、片岡かたおか中将が怒ってむすめを引き取った事、病女のために静養室を建てた事、一生の名残なごりに「浪さん」を連れて京阪けいはんゆうをした事、川島家かわしまけからよこした葬式の生花しょうかを突っ返した事
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
東京で見る寿司屋の看板のすべては(京阪けいはん地方においても同じ)握り寿司屋であるかぎり、みながみな「江戸前えどまえ」なる三字を特筆大書とくひつたいしょしている。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
手習いがいやなのではなく、寺院おてら夫人だいこくさんが、針ばかりもたせようとするのが嫌だったのだ。もっとも、近松ちかまつ西鶴さいかくの生ていた時代に遠くなく、もっとも義太夫ぶし膾炙かいしゃしていた京阪けいはん地方である。
東京のうなぎのたれのように甘いたれではくどくて駄目だめだ。京阪けいはんでうなぎに使うような醤油しょうゆに付けて焼くのがいい。
鱧・穴子・鰻の茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
えびは京阪けいはんが悪くて、東京の大森、横浜の本牧ほんもく、東神奈川あたりれる本場と称するものがいい。こういうものを賞味するようにならなければ、食通とはいえまい。
車蝦の茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
人々の間では、「どこそこのうなぎがよい」というようなお国びいきもあるし、土地土地の自慢話も聞かされるが、東京の魚河岸うおがし京阪けいはんの魚市場に代表的なものがある。
鰻の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
洋食の流行する以前の京、大阪の子どもに、「どんなご馳走ちそうが好きか」とたずねると、「たい」と「はも」と、必ず答えたものだ。それほど、たいとはもは京阪けいはんにおける代表的な美食だった。
鱧・穴子・鰻の茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)