“りょうしゅう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
領袖68.0%
涼秋8.0%
凌州4.0%
領収4.0%
亮集4.0%
涼州4.0%
菱秋4.0%
遼州4.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
明治十七八年ごろのことであった。改進党の壮士藤原登ふじわらのぼるしば愛宕下あたごしたの下宿から早稲田の奥に住んでいる党の領袖りょうしゅうの処へ金の無心むしんに往っていた。
雑木林の中 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
時は涼秋りょうしゅうげつ、処は北海山中の無人境、篝火かがりびを焚く霜夜の天幕、まくそとには立聴くアイヌ、幕の内には隼人はやと薩摩さつま壮士おのこ神来しんらいきょうまさにおうして、歌ゆる時四絃続き、絃黙げんもくす時こえうた
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
凌州りょうしゅう団練使だんれんし単廷珪ぜんていけい魏定国ぎていこくという二大将は、とみに近ごろ勇名のある者、これに郷軍の大兵と、禁軍の精鋭をそえ、水滸すいこ討伐の勅命をくだし給わらば
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし凌州りょうしゅうの野で、二箇月にわたる戦いのすえ、ついに呉用そのほかの助勢もあって、関勝かんしょうはそれに成功し、ぜんの二大将を、とうとう梁山泊の仲間へ誘い入れてしまった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
カロンの臼砲の領収りょうしゅう発射は、六月二十一日、勝手ヶ原の射場で行われた。御鉄砲方、大筒役、火薬奉行の組下、与力、同心、属役は、日の出前に射場に集合した。
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
あいなるべくは、試射などといううるさい手続きはぬきにして、このまま徳川家の武器庫におさまることをカロンは希望していたが、幕府の大筒方は底意地悪く、領収りょうしゅう発射の公開を要求してやまない。
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
漢晋かんしん春秋」「亮集りょうしゅう」「後主伝こうしゅでん」等に記載されている所を綜合してみると、大略、次の如き構造と効用の物であることがほぼ推察される。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
との飛報を聞くと、愕然、騒ぎだして、都の討手が着かないうちに、総勢、涼州りょうしゅう方面へ落ちてしまった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かいてくれたのは、神田の手習い師匠の山村小左衛門という人で、菱秋りょうしゅうというのは其の人の号ですよ
半七捕物帳:35 半七先生 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
巍は遼州りょうしゅうの人、気節をたっとび、文章をくす、材器偉ならずといえども、性質実にこれ、母の蕭氏しょうしつかえて孝を以て称せられ、洪武十七年旌表せいひょうせらる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)