“べんけいばし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
辨慶橋50.0%
弁慶橋50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
かれところによると、清水谷しみづだにから辨慶橋べんけいばしつうじる泥溝どぶやうほそながれなかに、春先はるさきになると無數むすうかへるうまれるのださうである。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
最初の一人は赤坂表町の流行醫者で本田蓼白れうはく先生、これは二十日目に辨慶橋べんけいばしの下へ死體になつて浮上がりました。二番目に行方不明になつたのは馬道の名醫、伊東參龍さんりう先生。
さうして夫等それらあいきるものがかさならないばかり隙間すきまなく清水谷しみづだにから辨慶橋べんけいばしつゞいて、たがひむつまじくういてゐると、とほがゝりの小僧こぞうだの閑人ひまじんが、いしけて
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
主人が三十七、妻が三十二、長男が十六、長女が十一、二男が七つである。やしき神田かんだ弁慶橋べんけいばしにあった。知行ちぎょうは三百石である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
弁慶橋べんけいばしで乗りえてからは、人もまばらに、雨も小降こぶりになつた。あたまらくれた世のなかを眺める事が出来できた。けれども機嫌きげんわるちゝかほが、色々な表情を以てかれの脳髄を刺戟した。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)