“溶(と)” の例文
歌って歌って参るのじゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶(と)けるごとくじゃ。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ところが私は熱いんです、そして火は氷を溶(と)かしてしまひますわ。あの火はあなたの外套の雪をすつかり溶かしたぢやありませんか。
煩悩(ぼんのう)の火は鉄も溶(と)かす。ましてや以前は糸屋の若旦那とか。出家沙門(しゅっけしゃもん)となったのも、因(もと)は女からで、色の道と借金づまりの世間遁(のが)れ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
罰(ばち)が当つたら、その罰(ばち)をも薄茶に溶(と)いて飲んでしまふがよい。茶人は借金の証文をさへ、茶室の小掛物(こがけもの)にする事を知つてゐる筈だから。
遠(とほ)くから南(みなみ)へ廻(まは)らうとして居(ゐ)る日(ひ)は思(おも)ひの外(ほか)に暖(あたゝ)かい光(ひかり)で一帶(たい)に霜(しも)を溶(と)かしたので、何處(どこ)でも水(みづ)を打(う)つたやうな濕(うるほ)ひを持(も)つて居(ゐ)た。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「このばか溶(と)けろ、このばか溶(と)けろ。」といいながら、やっとのことで、鬢付(びんつ)け油(あぶら)一本(ぽん)をついに若者(わかもの)の頭(あたま)に塗(ぬ)ってしまいました。
てかてか頭の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
と出(だ)した時(とき)、……翁(おきな)の赭(あか)ら顏(がほ)は、其(そ)のまゝ溶(と)けさうに俯向(うつむ)いて、目(め)をしばたゝいた、と見(み)ると、唇(くちびる)がぶる/\と震(ふる)へたのである。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
「寒(さむ)いでせう、御氣(おき)の毒(どく)さまね。生憎(あいにく)御天氣(おてんき)が時雨(しぐ)れたもんだから」と御米(およね)が愛想(あいそ)を云(い)つて、鐵瓶(てつびん)の湯(ゆ)を注(つ)ぎ注(つ)ぎ、昨日(きのふ)煑(に)た糊(のり)を溶(と)いた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
その上等の乾杏を鍋へ入れて沢山の水にして弱い火で二時間ばかり煮てお砂糖を加えて一時間ばかり煮ますと溶(と)けるように柔くなります。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
敬二少年は、石を積みかさねてつくられたビルディングが、溶(と)けるように消えてゆくのを見た。——なんという怪奇であろう。
○○獣 (新字新仮名) / 海野十三(著)
始終懐(ふとこ)ろに入れたり肩へ載せたり、夜は抱いて寝て、チョッカイでも出せば溶(と)けるような顔をして頬摺(ほおずり)したり接吻(せっぷん)したりした。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
おやおや、昔模様謎染(むかしもようなぞぞめ)の新形浴衣(しんがたゆかた)とおいでなすったね。こんなのを肌につけると、金助身に余って身体(からだ)が溶(と)けっちまいます。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
これも森林(しんりん)があれば雪(ゆき)が急(きゆう)に溶(と)けませんし、たとひ、おちた雪(ゆき)も樹幹(じゆかん)で支(さゝ)へられるので、なだれがおきないですむのです。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
レグホンの古びきった血液は、強烈な本能の匂いを溶(と)かしこんだ地鶏の血液に比して、はるかに循環が鈍(にぶ)い。彼の打撃はしばしば的をはずれた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
別に鮒(ふな)や鮠(はえ)の干(ほ)したのを粉にした鮒粉(ふなこ)と云うものを用意してこの二つを半々に混じ大根の葉を擦(す)った汁(しる)で溶(と)くなかなか面倒なものであるその外(ほか)声を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
焔の色の薔薇(ばら)の花、強情(がうじやう)な肉を溶(と)かす特製の坩堝(るつぼ)、焔(ほのほ)の色の薔薇(ばら)の花、老耄(らうまう)した黨員の用心、僞善(ぎぜん)の花よ、無言(むごん)の花よ。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
外は随分寒く、身を切らるゝ様で御座います。雪が降りますと、なか/\溶(と)けませんで、幾日も/\つもって居ります。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
おまけにその容易ならぬ曲者(くせもの)は、吾輩の顔を見ると、溶(と)ろけるような心安さでイキナリニッコリと笑いかけたものだ。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私(わたくし)はあの滝(たき)の音(おと)をききながら、いつもその音(おと)の中(なか)に溶(と)けこむような気分(きぶん)で、自分(じぶん)の存在(ありか)も忘(わす)れて、うっとりとしていることが多(おお)いのでございました。
愛撫(あいぶ)するだけではあきたらず、それを愛するの余りに、彼は、ギルガメシュ伝説の最古版の粘土板を噛砕(かみくだ)き、水に溶(と)かして飲んでしまったことがある。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それは、なかなか手のかかったスープで、ルピック夫人が、木の篦(へら)でもって、少しばかり例のものを溶(と)かし込んだのである。なに、ほんの少しである。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
溶(と)けた粘土があり、流れる泉があり、堅い岩があり、専門の科学で俗に芥子(からし)と言われる柔らかい深い泥土(でいど)がある。
もう墨を溶(と)かしたような湯なのだが手に掬(すく)い上げて見ると、空の余映を受けて岩清水(いわしみず)のように明るいのである。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
赤々(あかあか)と石炭の火を燃え立たせて、窓硝子(ガラス)につもる雪さえ、うす青い反射の光を漂わす暇(ひま)もなく、溶(と)けて行った。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
実に傍若無人、お金の銚子の手、その脂を溶(と)いて桃色羽二重に包んだような手首を握ってグイと引くのです。
仰げば蓋(かさ)を張つたやうな樹の翠、俯(うつむ)けば碧玉を溶(と)いたやうな水の碧(あを)、吾が身も心も緑化するやうに思はれた。
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
それらは今でもまったく忘れることは出来なかったが、こういう出来事は彼女の性格の清らかな光りのうちに溶(と)けこんで、もはや、事実としての効力を失い
それにこの暗さを被(おお)う化粧土さえも用いた歴史がなく、また釉薬(うわぐすり)も色の冴(さ)えた瑞々(みずみず)しいものを用いたためしがなく、ただ赤土をうすく溶(と)いて、これに灰を交(ま)ぜ
多々良の雑器 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
自分の見つつあるものが自分の構想しつつある物語の中へそのままエピソオドとして溶(と)け込んで来ながら
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
薄(すすき)の葉のうらにいる蛍を上の方から見ると、葉の緑を溶(と)いて光る美しさは眼も青くそまるばかりであった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
その雲の青い色と赤い屋根との二つの異った色が一つの色に溶(と)け合って、新しく立ち昇る巷(ちまた)の煙りが白い泡のように光りながら、あちらこちらにただよっています。
二本松城十万石が、不気味に冴(さ)えたその月の光りの中に、溶(と)け込んで了(しま)ったような静けさである。
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
凍瘡(しもやけ)のいたがゆいやうな雨のふる宵に風呂から出て、肌の匂ひとは知らずに、白粉の溶(と)けてしみこむ頸もとを眺めたり、自分でも美しいと思ふやうな眼の色を見詰めてゐたり
春 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
彼は炉(ろ)の前に坐りて居眠(いねむ)りてやおらん、乞食せし時に比べて我家のうちの楽しさ煖(あたた)かさに心溶(と)け、思うこともなく燈火(ともしび)うち見やりてやおらん、わが帰るを待たで夕餉(ゆうげ)おえしか
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
三月(がつ)の雪(ゆき)が綿(わた)のように町(まち)へ来(き)て、一晩(ひとばん)のうちに見事(みごと)に溶(と)けてゆく頃(ころ)には、袖子(そでこ)の家(いえ)ではもう光子(みつこ)さんを呼(よ)ぶ声(こえ)が起(お)こらなかった。それが「金之助(きんのすけ)さん、金之助(きんのすけ)さん」に変(か)わった。
伸び支度 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一瞬(いっしゅん)、船は停(とま)り、時も停止し、ただ、この上もなく、じいんと碧(あお)い空と、碧い海、暖かい碧一色の空間にぼくは溶(と)け込んだ気がしたが、それも束(つか)の間(ま)、ぼくは誰かにみられるのと
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶(と)け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂——それがわたしだ……このわたしだ。
二十三年の今まで絶えて覺(おぼえ)なき異樣の感情雲(くも)の如く湧き出でて、例へば渚(なぎさ)を閉ぢし池の氷の春風(はるかぜ)に溶(と)けたらんが如く、若しくは滿身の力をはりつめし手足(てあし)の節々(ふし/″\)一時に緩(ゆる)みしが如く
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
私は時に高畑の東にある新薬師寺(しんやくしじ)まで散歩した。その途中で数人の知友に出遇(であ)ったりもした。あるいは夕日の暑さに溶(と)ろけた油絵具の糟(かす)が、道端(ばた)の石垣に塗りつけられてあったりする。
これ/\何(なん)でも医者(いしや)の云(い)ふ通(とほり)になれ、素人(しろうと)の癖(くせ)に何(なに)が解(わか)るものか、是(これ)は舎利塩(しやりえん)を四匁(しもんめ)粉薬(こぐすり)にして遣(つか)はすから、硝盃(コツプ)に水を注(つ)ぎ能(よ)く溶(と)いて然(さ)うして飲(の)め、夫(それ)から規那塩(きなえん)を一分(ぶん)入(い)れる処(ところ)ぢやが
華族のお医者 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
参木は舐(な)められるように溶(と)けていく自分のうす寒い骨を感じた。彼はいった。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それは如何(いか)にも、あの綺麗(きれい)な雪(ゆき)が溶(と)けて、露(つゆ)の玉(たま)になつて樋(とひ)の中(なか)へ轉(まろ)び込(こ)むのにふさはしい音(おと)である……轉(まろ)び込(こ)んだ露(つゆ)はとろ/\と響(ひゞき)に誘(いざな)はれて流(なが)れ、流(なが)れる水(みづ)はとろ/\と響(ひゞき)を導(みちび)いて行(い)く。
日の光を浴びて (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
もし逢(あ)ってもその人達はこの人になつかしく差出(さしだ)す手を用意して居るに相違ない。そういえばわたしとてよくもこの人を庇い通した——おもえば氷を水に溶(と)く幾年月。その年月に涙がこぼれる。
愛よ愛 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
伊香刀美(いかとみ)はすこし拍子(ひょうし)抜(ぬ)けがして、そこらをぼんやり見回(みまわ)しました。すると水晶(すいしょう)を溶(と)かしたように澄(す)みきった湖水(こすい)の上に、いつどこから来(き)たか、八人(にん)の少女(おとめ)がさも楽(たの)しそうに泳(およ)いで遊(あそ)んでいました。
白い鳥 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「螢といふ蟲は、籠の中へ入れて置くと、溶(と)けて了うのかしら?」
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
お前(まへ)の怒(いか)りを蒙古(まうこ)の嵐(あらし)に鍛(きた)え、鞍山(あんざん)の溶鉱炉(ようこうろ)に溶(と)かし込(こ)め!
膠(にかは)煮て銀泥(ぎんでい)溶(と)かす日の真昼何かしかひそむ暗(くら)きけはひはも
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
煙が低く空を這って、生活の流れの上に溶(と)けていた。
橋 (新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
水月(くらげ)のやうに音(おと)もなく溶(と)け入(い)るであらう。
メランコリア (旧字旧仮名) / 三富朽葉(著)
鉛人形の如く溶(と)けて了ったのでアルンス