馬標うまじるし)” の例文
死を決して奮進した采女うねめは、奪われた味方の馬標うまじるしを敵の手からりかえし、しかも後日、身をもって危地からのがれてかえった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大阪城の天守が雷火にかれたときに、そこにしまってある権現様の金の扇の馬標うまじるしを無事にかつぎ出して、天守の頂上から堀のなかへ飛び込んで死んだという
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
周知の如く武鑑とは現代の紳士録の先駆的出版物であって、徳川一門から譜代外様の大名諸侯残らずその家の紋どころ、槍飾り馬標うまじるし、領地江戸邸、各家の家族関係から重臣まで記載してある。
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
これは越前ゑちぜん名代なだい強力がうりき一日あるひ狩倉かりくら大熊おほくま出逢であひ、てるやりくまのために喰折くひをられこと鉄拳てつけんげてくまをば一けんもと打殺うちころしこの勇力ゆうりよくはかくのごとくであるとくまかは馬標うまじるしとした。
怪力 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
金幣きんぺい馬標うまじるしをとりかえして来た少年水野の如きは、退却に際しても、何の理窟もこねなかったが、諸将のうちには、岐阜帰着後も、こんどの引揚げと、その犠牲に対して
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柴田勝家自身も、左のももに一弾の銃瘡じゅうそうと、肩のあたりに一矢の矢痍やきずをうけていた。そればかりか、中軍に持っていた金幣きんぺい馬標うまじるしまで、敵手に奪われてしまい、主従、ちりぢりになって逃げ走った。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)