金色夜叉こんじきやしゃ)” の例文
一般家庭でも『学士様なら娘を遣るか』といった調子で、紅葉山人の金色夜叉こんじきやしゃや、小杉天外の魔風恋風まかぜこいかぜが到る処にウロウロしていた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そんなことから、後に紅葉の傑作「金色夜叉こんじきやしゃ」が出ると、お宮はお須磨さんがモデルで、貫一は巌谷小波いわやさざなみ氏だといううわさなども高かった。
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
が、この同じ物語を延長した後談が紅葉の『金色夜叉こんじきやしゃ』の藍本らんぽんであるという説は知らないものがないほど広がってるが実は誣妄ふぼうである。
それから三、四年の後に、「金色夜叉こんじきやしゃ」の塩原しおばら温泉のくだりが読売新聞紙上に掲げられた。それを読みながら、私はかんがえた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ですから『金色夜叉こんじきやしゃ』にあるとおり、道を通る人力車の中に追羽子おいはごの羽子が落ちて、貫一のいいなずけの宮が見そめられるくだりがあるのです。
私の思い出 (新字新仮名) / 柳原白蓮(著)
私はドサとはドサ回りから、カンは金色夜叉こんじきやしゃの貫一から取ったもので、その若者のことを、東京では二枚目とはいえないが、田舎回りの劇団だったら
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉こんじきやしゃ」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支さしつかえなかった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ひとり坐幽篁裏ゆうこうのうちにざし弾琴きんをだんじて復長嘯またちょうしょうす深林しんりん人不知ひとしらず明月来めいげつきたりて相照あいてらす。ただ二十字のうちにゆう別乾坤べつけんこん建立こんりゅうしている。この乾坤の功徳くどくは「不如帰ほととぎす」や「金色夜叉こんじきやしゃ」の功徳ではない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
是で盃をすすぐことをアラタメルと謂ったのも、もとは別の盃にするという意味で、「金色夜叉こんじきやしゃ」の赤樫満枝あかがしみつえという婦人などが、「改めてございませんよ」と謂って
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この劇場で偶然余は新派大合同劇を見た、芸題は「金色夜叉こんじきやしゃ」で登場俳優は今云ったような面触かおぶれに中野信近などいったようなのも入ってその頃のオール新派と云ってもよろしい
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
百年の後には「金色夜叉こんじきやしゃ」でも「不如帰ほととぎす」でもやはり古典になってしまうであろう
生ける人形 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私が出かけた温泉地は、むかし、尾崎紅葉の遊んだ土地で、ここの海岸が金色夜叉こんじきやしゃという傑作の背景になった。私は、百花楼というその土地でいちばん上等の旅館に泊ることにきめた。
断崖の錯覚 (新字新仮名) / 太宰治黒木舜平(著)
その頃には、透谷君や一葉女史の短い活動の時はすでに過ぎ去り、柳浪にはやや早く、蝸牛庵主かぎゅうあんしゅは「新羽衣はごろも物語」を書き、紅葉山人は「金色夜叉こんじきやしゃ」を書くほどの熟した創作境に達している。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
外国語学校に通学していた頃、神田の町の角々かどかどに、『読売新聞』紙上に『金色夜叉こんじきやしゃ』が連載せられるという予告が貼出はりだされていたのを見たがしかしわたくしはその当時にはこれを読まなかった。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)
金色夜叉こんじきやしゃ』などの類にあらず。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
明治の文豪尾崎紅葉氏の「金色夜叉こんじきやしゃ」は、巌谷小波いわやさざなみ氏と須磨子夫人をとったものと噂されたが、小波氏は博文館になくてならない人であり、童話の作家として先駆者である。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者をえらんで金色夜叉こんじきやしゃにしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮おみやですといったのさ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
金色夜叉こんじきやしゃの貫一みたいなことを言うない」
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)