私の詩が安全弁的役割から蝉脱して独立の生命を持つに至るかどうか、それは恐らくもっと後になってみなければ分らない事であろう。
しかしながら、専制的支配を必要とする傭兵であったため、十八世紀中には遂にこの横隊戦術から蝉脱する事が出来なかった。
一九〇九年型の女優が一九三四年式のぴちぴちした近代娘に蝉脱した瞬間のスリルがおそらくこの作者の一番の狙いどころではないかと思われる。
が、間もなくその馬鹿馬鹿しさに気が付いて四五篇でその型から蝉脱することに骨を折るようになった筈である。
いかなロマンチストでも簡単に自己蝉脱は出来ないのであるから、或る意味ではやはり元の作家A・B・C氏であることは避け難い現実としなければならない。