翹望ぎょうぼう)” の例文
同時に翁のそこまでの苦心とこれに対する一般人士の翹望ぎょうぼうは非常なものがあったに違いない事が想像されるので、その能が両日に亘り
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
長いこと附纏つきまとわれた暗い秘密を捨てようとする心は、未だそれを捨てもしてない前から、既にもうこうした翹望ぎょうぼうを起させた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
翹望ぎょうぼうを持つ——女達が風呂に出はらった後の昼間の女給部屋で、ルナチャルスキイの「実証美学の基礎」を読んでいると、こんな事が書いてあった。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「今はまだ攘夷の時ではない」という、「攘夷説に拠ってまず国論民心を統一し」という、これまで秀之進が翹望ぎょうぼうしていた気持からすると迂遠うえんきわまるはなしだ。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私は必ずしもこの評判をのみにはしないが、伝統の否定、将棋の場合では定跡の否定、升田七段その人を別に、漠然たる時代的な翹望ぎょうぼうが動きだしているような気がする。
うち開けた広々した生活を翹望ぎょうぼうし、魂の満々たる大気を翹望し、しかもなおそれを恐れ、自分の本能が自分の運命と一致し得ずに、運命をなおいっそう悲しいものにするので
しからば今後はおもんみるに、腕にはあらで人格をもって、進取開放とは反対に、国粋保守の政治を行う、さようの人をこそ翹望ぎょうぼうするものと、愚考いたされまするでござります。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
同じであったならそれでよし、若し異っていたら、男性のつくり上げた文化と、女性のそれとの正しき抱擁によって、それによってのみ、私達凡ての翹望ぎょうぼうする文化は成り立つであろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それだのに、その新しい・きびしいものへの翹望ぎょうぼうは、いつか快い海軟風かいなんぷうの中へと融け去って、今はただ夢のような安逸と怠惰とだけが、ものうたのしく何の悔も無く、私を取り囲んでいる。
資本主義の精神と制度とが勢力を持っている今日において、このような文化生活を翹望ぎょうぼうすることは空中の楼閣にも比すべき幻想として一笑に附せられるでしょう。しかし私は予言します。
階級闘争の彼方へ (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
そうした「泣かせ方」が、今後、読書階級の翹望ぎょうぼうを満す喜びの泉となるだろう。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
が、所詮これも、我々のただ夢のようなる翹望ぎょうぼうと申すべきでありましょう。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
これ等の諸点にかんがみて、私は、ここに、子供研究社創刊の童話雑誌「お話の木」を主宰するに当たり、多年翹望ぎょうぼうしたる好機として、真の児童文化のために起ち、全力を之に致さんことを誓います。
こうして、何だか自分でもはっきりしないものを翹望ぎょうぼうして旅をつづけて来た流人達は、一度セエヌの谷へ這入るや、呪縛されたようにもうそこからは動こうとしない。巴里パリーは魅精をつからだ。
万人の翹望ぎょうぼうする上流階級の特権なるものは皆この悪魔道に関する特権に外ならず。人類の日常祈るところの核心ものは皆、この外道精神の満足に他ならず。
悪魔祈祷書 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その遠くて近いような翹望ぎょうぼうをまだ経験の無い胸にもって、捨吉は半分夢中で洗礼を受けた高輪の通りにある教会堂からも、初めて繁子や玉子に逢った浅見先生の旧宅からも
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
人類にたいする愛、諸国民や諸民族の親和にたいする敬虔けいけん翹望ぎょうぼう——それをこれらの青年らは何たる盲目な暴戻ぼうれいさをもって冒涜ぼうとくしてることだろう! われわれが征服したあの怪物を愛惜し
漠然たる時代的な翹望ぎょうぼうが動きだしてゐるやうな気がする。
大阪の反逆 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
明け暮れ翹望ぎょうぼうし、渇望して止まなかった精神解剖学、精神生理学、精神病理学、精神遺伝学なぞというものを包含している事が明らかに認められるので
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
こういう翹望ぎょうぼうは、あだかもそれが現在の歓喜であるかのごとくにも感ぜられた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は自分の熱情に眼をくらまされていた。霧のために、貧血症にかかってる虚偽のために、「太陽のない幽鬼的観念」のために、凍らされたような気がしていた。一身の力をしぼって太陽を翹望ぎょうぼうしていた。
社会組織を翹望ぎょうぼうする維新の革命を生んだ事実は、誰しも否定し得ないところであろう。
甲賀三郎氏に答う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
こういう翹望ぎょうぼうはあだかもそれが現在の歓喜よろこびであるかのごとくにも感ぜられた。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あるいは、孤立した若い人々で、困難な生活をし、達せられるかどうか自分でもわからないある理想を、一身をあげて翹望ぎょうぼうしていた。そしてクリストフの親愛な魂を、むさぼるように吸い込んでいた。
何時来るとも知れないような遠い先の方にある春。唯それを翹望ぎょうぼうする心から、せっせと怠らず仕度しつつあった彼のような青年に取っては、ほんとうに自分の生命いのちの延びて行かれる日が待遠しかった。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)