まつり)” の例文
五百は敬に壻を取って長尾氏のまつりを奉ぜしめようとして、安に説き勧めたが、安は猶予して決することが出来なかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
事の実際をいえば弱宋じゃくそうの大事すでに去り、百戦必敗ひっぱいもとより疑うべきにあらず、むしろはじしのんで一日もちょう氏のまつりそんしたるこそ利益なるに似たれども
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
これは多分いわゆる新仏しんぼとけの立場と子孫のまつりを受けずに迷っている三界万霊の態度とが、共に生人に好意をもたぬ点で、幾分か相通ずるものがあるように、考えられていた結果であろう。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかるに幕府の始末しまつはこれに反し、おだやかに政府を解散かいさんして流血りゅうけつわざわいけ、無辜むこの人を殺さず、無用むようざいを散ぜず、一方には徳川家のまつりを存し、一方には維新政府の成立せいりつ容易よういならしめたるは
かくして一には浪子を武男の念頭より絶ち、一には川島家のまつりを存し、一にはまた心の奥の奥において、さきに武男に対せる所行しわざのやや暴に過ぎたりしその罪? ほろぼしをなさんと思えるなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
彼は、馬を降りて、水辺の楊柳やなぎにつなぎ、一基の石を河原の小高い土にすえて、牛を斬り、馬をほふった。そして典韋の魂魄こんぱくをまねくのまつりをいとなみ、その前に礼拝して、ついには声を放っていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中丸は当時その師抽斎に説くに、頗る多言をついやし、矢島氏のまつりを絶つに忍びぬというを以て、抽斎の情誼じょうぎうったえた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
すなわち徳川家が七十万石の新封しんぽうを得てわずかにそのまつりを存したるの日は勝氏が断然だんぜん処決しょけつすべきの時機じきなりしに、しかるにその決断ここに出でず、あたかも主家を解散かいさんしたるその功を持参金じさんきんにして
当家の御養子となされたのは伊沢のまつりを絶たぬやうにとの思召でござりませう。それにはせめて女子の血統なりとも続くやうに、お取計なさりたいと存じます。わたくしは美女を
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)