清涼殿せいりょうでん)” の例文
しかしそれらのなかで最も深く教授を感激させたのは、京都の仙洞御所せんとうごしょのなかで清涼殿せいりょうでんの前庭をかこんだ一帯の風趣であったのです。
もとよりここは花山院の今内裏いまだいり(仮の皇居)だが、天皇のおわすところ、どこでもそこを清涼殿せいりょうでんと呼ぶのがならわしなのである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紫宸殿ししんでん清涼殿せいりょうでん御座所ござしょで政治をおとり遊ばされたのを、文武百官は、まことに賢明な天子であると、その仰せをおそれかしこんでお仕え申しあげたものである。
その霊が化して雷神となって朝臣にあだをすると信ぜられていた時分、或る日清涼殿せいりょうでんに落雷して満廷の公卿くげたちが顔色を失った折に、時平は凜然りんぜん太刀たちを引き抜いて大空をにら
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それは清涼殿せいりょうでんのことで、西の後涼殿の縁には殿上役人が左右に思い思いの味方をしてすわっていた。左の紫檀したんの箱に蘇枋すおうの木の飾り台、敷き物は紫地の唐錦からにしき帛紗ふくさは赤紫の唐錦である。
源氏物語:17 絵合 (新字新仮名) / 紫式部(著)
清涼殿せいりょうでんの春の
若菜集 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ここ、あらゆる行事や行幸いでましも見あわせられて、夜の御殿みとのも、昼の御座ぎょざも、清涼殿せいりょうでんいったいは巨大な氷室ひむろことならなかった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
更衣が心をめいらせているのを御覧になると帝はいっそうあわれを多くお加えになって、清涼殿せいりょうでんに続いた後涼殿こうりょうでんに住んでいた更衣をほかへお移しになって桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
鎌倉殿から格別なお扱いをいただいて、三百ぢかい手下てかをバラ撒き、宮中なら御息所みやすんどころの床下から、清涼殿せいりょうでんうつばりの数まで読みそらんじている別拵べつごしらえな人間様だぞ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿せいりょうでんの正面の階段きざはしを下がって拝礼をした。左馬寮さまりょうの御馬と蔵人所くろうどどころたかをその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そこからは、いわゆる殿上てんじょうで、清涼殿せいりょうでんの南のひさしにあたるところである。