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清水寺
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きよみずでら
ふりがな文庫
“
清水寺
(
きよみずでら
)” の例文
わけて、この京都
八坂郷
(
やさかごう
)
の
清水寺
(
きよみずでら
)
は、東大寺系なので、南都の
学生寮
(
がくしょうりょう
)
もあり、夜になって一所に集まると、論議や談笑で、正月の夜も変らなかった。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今
(
いま
)
の
清水寺
(
きよみずでら
)
があれほどの
大
(
おお
)
きなお
寺
(
てら
)
になったのは、
田村麻呂
(
たむらまろ
)
の
時
(
とき
)
から、そうなったものだということです。
田村将軍
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
「しかしこうして
今日
(
こんにち
)
御眼にかかれたのは、全く
清水寺
(
きよみずでら
)
の観世音菩薩の
御利益
(
ごりやく
)
ででもございましょう。平太夫一生の内に、これほど嬉しい事はございません。」
邪宗門
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
初冬の夜もしだいに
更
(
ふ
)
けて、
清水寺
(
きよみずでら
)
の九つ(午後十二時)の鐘の音が水にひびいた。半九郎は
仄暗
(
ほのぐら
)
い灯の前に坐って、自分の朋輩の血を染めた
刃
(
やいば
)
に、更に自分の血を塗ろうとした。
鳥辺山心中
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
都に上った厨子王は、
僧形
(
そうぎょう
)
になっているので、東山の
清水寺
(
きよみずでら
)
に泊った。
山椒大夫
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
あえて、
践祚
(
せんそ
)
ノ
儀
(
ぎ
)
をとり行って二日後の晩であった。彼は、人知れず
清水寺
(
きよみずでら
)
へ
願文
(
がんもん
)
をおさめていた。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いえ、あなた様さえ一度お見舞い下されば、あとはもうどうなりましても、さらさら心残りはございません。その上はただ
清水寺
(
きよみずでら
)
の
観世音菩薩
(
かんぜおんぼさつ
)
の
御冥護
(
ごみょうご
)
にお
縋
(
すが
)
り申すばかりでございます。」
おしの
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
ばけもののむくろはすぐに
焼
(
や
)
いて、
清水寺
(
きよみずでら
)
のそばの山の上に
埋
(
うず
)
めました。
鵺
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
一例をあげれば、
清水寺
(
きよみずでら
)
の
願文
(
がんもん
)
など、あれを書かれた御本心が疑われてならないのです。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「その章房は、出過ぎ者となった身の不首尾をさとって、以後は
出仕
(
しゅっし
)
もせず、引き籠っている風だが、まま
清水寺
(
きよみずでら
)
の社参には詣るよし。いや狙えば、いくらでも
窺
(
うかが
)
う機会はあろう。首尾よくせよ」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
浪華
(
なにわ
)
では住吉神社、京では
清水寺
(
きよみずでら
)
、男山八幡宮、江戸では浅草の
観世音
(
かんぜおん
)
、そのほか旅の先々で受けた所の神々や諸仏天は、今こそ、自分の肌身を固め給うものと信じて、ばばは、
鎖帷子
(
くさりかたびら
)
を着たよりも
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長は、東福寺に陣し、義昭は東山の
清水寺
(
きよみずでら
)
へはいった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“清水寺”の解説
清水寺(きよみずでら、en: Kiyomizu-dera Temple)は、京都市東山区清水1丁目にある北法相宗の大本山の寺院。山号は音羽山。本尊は十一面千手観世音菩薩。正式には音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)と号する。もとは法相宗に属していたが、現在は独立して北法相宗を名乗る。西国三十三所第16番札所。洛陽三十三所観音霊場第10から14番札所。境内(敷地面積)は約13万平方メートル。
(出典:Wikipedia)
清
常用漢字
小4
部首:⽔
11画
水
常用漢字
小1
部首:⽔
4画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
“清水”で始まる語句
清水
清水谷
清水港
清水堂
清水越
清水昌一
清水川原
清水粂之介
清水町
清水坂