捨小舟すておぶね)” の例文
そこに、先刻さっきの編笠目深まぶかな新粉細工が、出岬でさきに霞んだ捨小舟すておぶねという形ちで、寂寞じゃくまくとしてまだ一人居る。その方へ、ひょこひょこく。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
たよりなぎさの捨小舟すておぶね……人間、別れる時に別れないのは未練で、あとが悪い、よくおっしゃいましたね、未練が残るくらいの別れは、本当の別れではないのよ。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
世間一般ずソンナふうで、その時の私の身の上を申せば寄辺汀よるべなぎさ捨小舟すておぶね、まるでうたの文句のようだ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ふと、妙だな? と思って見たのは、よしの間に投げ散らされてあるとまむしろ——そして、その時初めて気がつくと、綱を解かれた捨小舟すておぶねが、ゆるい猫間川の水に押されて、はるかのしもへ流されてゆく。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうせ一度は捨小舟すておぶねの寄辺ない身に成ろうも知れぬと兼て覚悟をして見ても、其処そこ凡夫ぼんぶのかなしさで、あやうきに慣れて見れば苦にもならずあてに成らぬ事を宛にして、文三は今歳の暮にはお袋を引取ッて
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
美女 あの、捨小舟すておぶねに流されて、海のにえに取られてく、あの、(みまわす)これが、嬉しい事なのでしょうか。めでたい事なのでしょうかねえ。
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この捨小舟すておぶねをめざして急いでみると、それから程遠からぬ小さな池の傍の低地に小屋を営んで、その小屋の前に人間が一人、真向きに太陽の光を浴びて本を読んでいる。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だが、わざわざ物好きにあの捨小舟すておぶねを訪れてみようという気もせず、むしろこんなところは早く通り過ぎた方がよいと考えて、今までよりは急ぎ足に弁信の先に立ちました。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
我はかの悪僕に追立てられて詮方せんかた無く、その夜赤城の家を出で、指して行方もあらざればその日その日の風次第、寄る定めぬ捨小舟すておぶね、津や浦に彷徨さまようて、身に知るわざの無かりしかば
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
相応院の入相いりあいの鐘がしきりに、土手を伝い、川面を伝って、この捨小舟すておぶねを動かしに来るのだが、がんりきの耳には入らないと見えて、暫くすると、またいい寝息で寝込んでしまいました。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
清き光天にあり、夜鴉よがらすうらも輝き、瀬のあゆうろこも光る。くまなき月を見るにさえ、捨小舟すておぶねの中にもせず、峰の堂の縁でもせぬ。夜半人跡の絶えたる処は、かえって茅屋かややの屋根ではないか。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
本有心蓮ほんぬしんれんの月の光というものは、ゆたかに私共の心のうちに恵まれるものに相違ございませんが、何を申すも無明長夜の間にさまようて、他生曠劫たしょうこうごうの波に流転るてんする捨小舟すておぶねにひとしき身でございます
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今は誰も相手にする者のない捨小舟すておぶね
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)