戸塚とつか)” の例文
それから近いもの/\と段々に上げて、仕舞しまい戸塚とつかと云う老医と私と二人になり、新橋の川岸について、戸塚は麻布に帰り私は新銭座しんせんざに帰らねばならぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一里九町走ってほどの宿。二里九町走って戸塚とつか。さらに二里飛ばして藤沢ふじさわ。よつや、平塚ひらつかと走りつけてこの間が二里半。大磯おおいそ、小田原と宿継ぎに飛ばして、ここが四里。
江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川しながわって程ヶ谷ほどがや戸塚とつかに泊まる、第二日は小田原おだわらに泊まる。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本ゆもとに着く。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
知つて居る樣子何れわけのあることならんと云ふ半四郎はきゝて夫は其筈そのはずなり某し先年國へ歸る時東海道戸塚とつか燒餠坂やきもちざかより彼奴きやつ道連みちづれになりし處其夜三島の宿へ泊りしに拙者の寢息ねいきを考へ胴卷どうまきの金を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
肩に弥造やぞうを振り立ててはいって来たのは、長庵の相棒あいぼう戸塚とつかの三だ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
見て成程某のつれなりきやつ護摩灰ごまのはひならんによりたゞし呉れんと思ひし處とう/\今宵引捕ひつとらへたり一たい此奴こやつ某が連にはあらねども一昨日をとゝひ戸塚とつかざかひの燒持坂より連に成りたいとてつけきたりし者なるが生國しやうこくは近江の由なれど江戸へ商ひに出し歸りにて是より名古屋へまはり其後京大坂へ仕入しいれのぼるにより供を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)