戌年いぬどし)” の例文
明和めいわ戌年いぬどしあきがつ、そよきわたるゆうべのかぜに、しずかにれる尾花おばな波路なみじむすめから、団扇うちわにわにひらりとちた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
綱吉も戌年いぬどし生れなら、柳沢出羽守も、戌年だった。その点でも、この主従には、迷信的な契合けいごうがふかいらしいのだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又は戌年いぬどしの人に限って突くのだという説もあったが、かの延寿太夫は酉年とりどしの生まれで戌年ではなかった。
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
愛子をうしなった悲嘆の余りにわかに迷信深くなり、売僧まいすの言葉を真に受けて、非常識に畜類を憐れむようになり、自身戌年いぬどしというところから取り分け犬を大事に掛けた。
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
万石まんごく以上の面々ならびに交代寄合こうたいよりあい、参覲の年割ねんわり御猶予成し下されそうろうむね、去々戌年いぬどし仰せいだされ候ところ、深きおぼし召しもあらせられ候につき、向後こうご前々まえまえお定めの割合に相心得あいこころえ
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
おかしいことには、よほど後藤君もあの不動が欲しかったか、ちょっと私へたのむのに細工をしたことが後で分って笑いましたが、実は後藤君は酉年ではなくて、戌年いぬどしであったのでした。
将軍綱吉が、戌年いぬどし生れだったからである。また、綱吉の若年の名は、右馬頭うまのかみといっていたし、館林たてばやし侯から出て、将軍家を継いだ天和二年も、戌の年だった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、戌年いぬどしの犬公方も、戌年の柳沢吉保も、面当つらあてを喰ったようなもので、どんなに怒ったかもしれますまい。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戌年いぬどしうまれの、将軍綱吉が、隆光や、桂昌院の献言をいれて、世の人間たちへ発令した、畜生保護令ちくしょうほごれい——いわゆる“生類しょうるいおんあわれみ”と称する稀代きだいな法律の厳行である。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)