彰義隊しょうぎたい)” の例文
彰義隊しょうぎたいが、謀反をおこした。」というのである。策士のやることは、いつの時代でも、まったくおなじような策略ではないか。
身寄りにも上野の彰義隊しょうぎたいで死んだ若ものもあったから、算盤そろばんをはじく武士より直参武士になれと進められたのかも知れない。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
浜本はすべてハイカラなものはきらいであった、かれは洋服の上にはかまをはいて学校へ来たことがあるので、人々はかれを彰義隊しょうぎたいとあだ名した。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
そうして、五がつ十五にち上野うえのでは、官軍かんぐん彰義隊しょうぎたいのあいだに戦争せんそうがはじまり、彰義隊しょうぎたいは、まけてちりぢりばらばらになり、寛永寺かんえいじもやけてしまいました。
女形おやま、二枚目に似たりといえども、彰義隊しょうぎたいの落武者を父にして旗本の血の流れ淙々そうそうたる巡査である。
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これがちょっと聞くとなんでもないようであるけれども、まかり間違えば直ぐ殺すという物騒な世の中である。その時には彰義隊しょうぎたいなどいう奴が上野におって皆殺す、脅迫して皆殺す。
江戸じゅうはまるでなべのなかのようでしてね。良人も父も弟もみんな彰義隊しょうぎたいで上野にいます、それに舅が大病で、私は懐妊みもちというのでしょう。ほんとに気は気でなかったのでした。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
武装解除をがえんじない江戸屋敷方の脱走者の群れが上野東叡山にたてこもって官軍と戦ったことを聞いたのも、百八十余人の彰義隊しょうぎたいの戦士、輪王寺りんのうじみやが会津方面への脱走なぞを聞いたのも
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
庄「おめえのお母さんのお墓参りをして、帰りに上野の彰義隊しょうぎたいのお墓参りをして、それから奧州屋さんのお墓参りに、遊びながら彼方あっちの方へぶら/\と一緒にきな、菊時分だから人が出るよ」
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
彰義隊しょうぎたいが立籠っていることだの、薩長の兵が、有栖川宮様ありすがわのみやさまを征東大総督に奉仰あおぎたてまつり、西郷吉之助きちのすけを大参謀とし、東海道から、江戸へ征込せめこんで来ることだのという、血腥ちなまぐさい事件も、ここ植甚の庭にいれば
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彰義隊しょうぎたいはこう向きなおってなにかつづけようとしたがなにをいうつもりであったか忘れたのでしきりに頭をかいた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
この上野うえのでは、江戸えどへはいった官軍かんぐん彰義隊しょうぎたいとのあいだに戦争せんそうがあり、そこから八キロメートルばかりはなれた慶応義塾けいおうぎじゅくまで、大砲たいほうおとがきこえてきました。
明治元年三月から十月までのあいだ、一家は二人の旧臣と数人の下男下女とともに、この屋敷に住まっていた。その五月には、彰義隊しょうぎたいの敗兵数名がこの屋敷に逃げこんできた。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
「そうだそうだ」と彰義隊しょうぎたいは頭に鉢巻きをしておどりあがった。「おれのいいたいことをみんないってくれた」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
幕府ばくふがたの勝海舟かつかいしゅうと、朝廷ちょうていがたの西郷吉之助さいごうきちのすけ隆盛たかもり)のはないによって、江戸城えどじょうはぶじにあけわたされましたが、それにはんたいの人々ひとびとがかなりあって、彰義隊しょうぎたいのり