庚申こうしん)” の例文
全国にわたって最も普通なのは石の地蔵尊、庚申こうしんさんという石の塔、それから道祖神がいろいろあるがこれもたいていの土地で知らぬ者がない。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
袈裟丸山から温泉ゆせん岳に至る上野州国境山脈の山々は、僅に奥白根と庚申こうしん山とを除く外は、自分にはことごとく未知の山である。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
刀の大小を並べたり、賽の目や、太鼓や、田植え笠や、塔や、いろいろのものを画いて、庚申こうしんは何月何日、社日しゃにち何時いつ、彼岸は何日と判じて読ませるのです。
たかが地方官階級だと軽蔑けいべつもせずよい若い女房なども多く仕えていて、それらに美装をさせておくことを怠らないで、腰折歌こしおれうたの会、批判の会、庚申こうしんの夜の催しをし
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
庚申こうしんの年孟夏もうか居を麻布あざぶに移す。ペンキ塗の二階家なり。因って偏奇館へんきかんと名づく。内に障子襖なく代うるに扉を以てし窓に雨戸を用いず硝子ガラスを張り床に畳を敷かずとうを置く。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その一には「性如院宗是日体信士、庚申こうしん元文げんぶん五年閏七月十七日」と、向って右のかたわらってある。抽斎の高祖父輔之ほしである。中央に「得寿院量遠日妙信士、天保八酉年十月廿六日」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と思って米友はその石を見ると、袖切坂の文字には昨夜見た通りの朱をさしてありましたが、その文字の下に猿の彫物ほりもののしてあることに初めて気がつきました。この猿はありふれた庚申こうしんの猿です。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
庚申こうしん像を縛って駈落者かけおちものの足留めしたと心得ると五十歩百歩だ。
是は庚申こうしんとなって仏法に引き込まれたためだったか、ただしは別に状況のちがうものがあったからか、稲荷いなりほどの大きな勢力を養うには至らなかった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「エテ公の日ですよ、親分——その上月までが申で、念入りに今晩は庚申こうしん様だ」
『竹渓遺稿』に「庚申こうしんノ春竹渓書院ノ壁ニ題ス。」となした七言律詩がある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
近い処では三峰みつみね庚申こうしん、男体などもありました。
登山談義 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
これに宛てた文字は金塚・金井塚等区々まちまちであるが、『新篇風土記稿』のごときは見るところあってすべて庚塚の字を宛て、すなわち庚申こうしん塚のことだろうと断じている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大正九年庚申こうしんの五月末、築地つきじから引越して来た時であった。台所の窓の下に、いかなる木、いかなる草の芽ばえともわからぬものが二、三本、ごみ掃寄はきよせた湿った土の中から生えているのを見た。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「知ってますよ親分、これは名題の庚申こうしん横町じゃありませんか」
ねむらずにいた人々の話柄であって、ちょうど庚申こうしんの由来霊験を説く話、または大年おおとしの晩には大きな火をいて、知らぬ旅人にも親切を尽すべきものだという類の民間説話が
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)