平安へいあん)” の例文
呉傑ごけつ平安へいあんは、盛庸せいようの軍をたすけんとして、真定しんていより兵を率いてでしが、及ばざること八十里にして庸の敗れしことを聞きて還りぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
今日けふごと浪路なみぢおだやかに、やがあひとも※去くわこ平安へいあんいはひつゝ芙蓉ふようみねあふこと出來できるやうにと只管ひたすらてんいのるのほかはないのである。
大阪の雑誌『宝船』第一号に、蘆陰舎百堂ろいんしゃひゃくどうなる者が三世夜半亭やはんていを継ぎたりと説きその証として「平安へいあん夜半やはん翁三世浪花なにわ蘆陰舎ろいんしゃ
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
きのふは仲秋ちうしう十五夜じふごやで、無事ぶじ平安へいあん例年れいねんにもめづらしい、一天いつてん澄渡すみわたつた明月めいげつであつた。
十六夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
夕日の國は野も山も、その「平安へいあん」や「寂寥せきれう」の
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
七月、平安へいあん兵を率いて真定より北平に到り、平村へいそんに営す。平村は城をる五十里のみ。燕王の世子せいしあやうきを告ぐ。王劉江りゅうこうを召して策を問う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
済南の防禦ぼうぎょ、徳州の回復に、其の材を認められて、平燕へいえん将軍となり、陳暉ちんき平安へいあん馬溥ばふ徐真じょしん等の上に立ち、呉傑ごけつ徐凱じょがい等とともに燕をつの任に当りぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)