平城ひらじろ)” の例文
ここは平城ひらじろ、しかも小城こじろ、またどうせ落ちる城。おれと共に死んでも、あまり死に花は咲かないぞ。……逃げたい者は落ちてゆくがいい。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城ひらじろで、お濠というのは人夫の手で掘りあげたお濠なんだ。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
近年の平城ひらじろにも川や湖水のごとき天然の地形を利用することは多かったが、大名がいよいよ大きくなって広い城下町を控えねばならぬようになれば
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
実に、水攻めの成功を確信し得る素因そいんは、なによりもその高松城が平城ひらじろ式なる上に、石垣もわずか二間しかないところにあった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
躑躅つつじさきの古城は武田家の居城きょじょうのあったところ。三面には岡があるけれど、城は平城ひらじろ、門の跡や、くるわのあと、富士見御殿のあった台の下には大きな石がある。
そこへ登ると、平城ひらじろなので、充分、内部へ狙い撃ちができる。城中の兵には、たしかに致命的なものだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この庄の落城物語を歴史で読むと、巍々ぎぎたる丘山の上にでもあるかと思えば、これは九頭竜川くずりゅうがわの岸に構えられたる平城ひらじろ。昔は壮観であったに相違ないと思うが、今は見る影もない。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
城下をめぐる幾筋もの川は、自然の外濠そとぼりや内濠のかたちをなし、まず平城ひらじろとしては申し分のない地相、阿波二十五万石の中府としても、決して、他国に遜色そんしょくのない城廓。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲府の城は平城ひらじろではあるけれど、ほりも深く、やぐらも高く、そうして松の間から櫓と塀の白壁が見え、その後ろには遥かに高山大岳がそびえている。濠を廻って二人の若い女は大手の門の前へ立ちました。
四方の空、いずこを見ても、山ならぬはない盆地だが、城郭は平城ひらじろだった。規模の大きなことは言語に絶している。そしてここを甲館とも呼び、躑躅つつじヶ崎の館ともいう。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦国以後に発達した平城ひらじろとちがい、極めて旧式な——土豪時代のとりでなので、ほりめぐらしてないし、従って城壁も見えない。唐橋もない。ただ、ばくとした一面の藪山やぶやまであった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高松の城は平城ひらじろだ。大手へかかる道の左右までが田圃たんぼや野である。深田の中に一叢ひとむらの林とどてと石垣を構え、そこから石段を登るごとに本丸の狭間はざま剣塀つるぎべいが頭の上へ近づいてくる。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、躑躅つつじさき平城ひらじろは、厳重げんじゅうをきわめているうえに、さすがはむかし信玄しんげんじしんが縄張なわばりをしたくるわだけあって、あさい外濠そとぼりえて、向こうの石垣いしがきにすがるたよりもなかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠くは摂河泉せっかせんの山野から、石川、東条川などの村落も近々見わたせる。西、東、北の三方は高地の展望をめ、南の高塚山や桐山の方から入ると、ただの狭い一平地の平城ひらじろにすぎないのだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
躑躅つつじさきたちというのは、甲府こうふの町に南面なんめんした平城ひらじろである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲府の御番城は、平城ひらじろだった。
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)