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そうぎ
ふりがな文庫
“
宗祇
(
そうぎ
)” の例文
中世盛んに流行した歌問答の昔話にも、
西行
(
さいぎょう
)
とか
宗祇
(
そうぎ
)
とかいう旅の歌人が、
摂津
(
せっつ
)
の鼓の滝に来て一首の歌を詠んだ話がある。
野草雑記・野鳥雑記:01 野草雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
素性の明らかでない連歌師
宗祇
(
そうぎ
)
であるが、こうした東常縁の目の動き方といい、宗祇の世なれた商売人
気質
(
かたぎ
)
といい、これもすべて公家の間のものではない。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
この庵の創始者の
宗長
(
そうちょう
)
は、連歌は
宗祇
(
そうぎ
)
の弟子で禅は一休に学んだというが、連歌師としての方が有名である。
東海道五十三次
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
「
宗祇
(
そうぎ
)
、宗長、宗牧、里村元祖
昌休
(
しやうきう
)
、
紹巴
(
せうは
)
、里村二代
昌叱
(
しやうしつ
)
、三代
昌琢
(
しやうたく
)
、四代昌程、弟祖白、五代昌陸、六代昌億、七代
昌迪
(
しやうてき
)
、八代昌桂、九代昌逸、十代昌同」
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
例
(
たと
)
えば
芭蕉
(
ばしょう
)
の思想も、突として芭蕉に
創
(
はじ
)
まったものではなくて、既に何百年か前の、連歌の
宗祇
(
そうぎ
)
の思想に根ざしている。
否々
(
いないな
)
、その思想は古き仏教の思想である。
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
▼ もっと見る
殿上に
桐火桶
(
きりびおけ
)
を
撫
(
ぶ
)
し
簾
(
すだれ
)
を隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の
分水嶺
(
ぶんすいれい
)
に立った
宗祇
(
そうぎ
)
がまた
行脚
(
あんぎゃ
)
の人であったことも意味の深い事実である。
俳諧の本質的概論
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
藤村も
宗祇
(
そうぎ
)
や芭蕉と同じように自庵では死なないで、ずっと広い世界に
涯
(
はてし
)
ない旅をつづけている、死んで永遠に生きるのである。それをおもえばよい死かたをしたものと、
羨
(
うらやま
)
しくもある。
夢は呼び交す:――黙子覚書――
(新字新仮名)
/
蒲原有明
(著)
わけて里村紹巴は、
宗祇
(
そうぎ
)
、宗長以来の聞えを当代に持っている者で、信長にも愛せられ、秀吉とも親しく、茶道では堺の宗易とは
昵懇
(
じっこん
)
だし、顔のひろいことにおいては、無類の社交人でもある。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
雨晴れて花に色そふ夕かな
宗祇
(
そうぎ
)
古池の句の弁
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
連歌全盛時代の
宗祇
(
そうぎ
)
・
兼載
(
けんさい
)
の頃から、受け継いでいた俳諧師の学問というものは、近世の俳人ともまただいぶちがっている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
西行
(
さいぎょう
)
法師や連歌師の
宗祇
(
そうぎ
)
の跡を
慕
(
した
)
って、生涯を笠や草鞋に托することがその希望であったのであるが、また無妻で無一物で孤独の生活をしておる芭蕉の如き人に在っては
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
その後千葉氏の内乱のため東荘へ下ったりしている頃尭孝・正徹ともに世を去り、その後応仁乱(六十七歳)の始まるまで十数年はその円熟の時代である。門人に有名な連歌師
宗祇
(
そうぎ
)
ができた。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
あるいは見物の方がはなはだしく無我で、聞きしにまさるなどと感歎することがあっても、それはただ
西行
(
さいぎょう
)
・
宗祇
(
そうぎ
)
・山陽・
拙堂
(
せつどう
)
などの、従順なる信者というにすぎぬ。
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
古来幾多の
世捨人
(
よすてびと
)
は人間の死ということに心を置いて、樹下石上の旅にさまようた。
西行
(
さいぎょう
)
も
宗祇
(
そうぎ
)
も
芭蕉
(
ばしょう
)
もまたそれら世捨人のあとを
慕
(
しと
)
うて旅にさまようた。そうして宗祇も芭蕉も旅に死んだ。
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
そのためには谷奥の山村は誠に重要であった。関所のある峠は勿論のこと、関はなくても難所と聞いては、
西行
(
さいぎょう
)
も
宗祇
(
そうぎ
)
も
此処
(
ここ
)
へ来て一宿したからである。
然
(
しか
)
るに新道が開けるとその村は不用になる。
峠に関する二、三の考察
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
芭蕉忌や遠く
宗祇
(
そうぎ
)
に
溯
(
さかのぼ
)
る
五百五十句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
“宗祇”の解説
宗祇(そうぎ、応永28年〈1421年〉 - 文亀2年7月30日〈1502年9月1日〉)は、室町時代の連歌師。号は自然斎、種玉庵。姓は飯尾(いのお/ いいお)というが定かではない。生国は、紀伊
とも近江とも言われている。市川文書に応永9年(1402年)信濃国を幕府領国と定め、飯尾左近将監爲清という人物を代官として下向させた旨の記述があるが関連は不明である。
(出典:Wikipedia)
宗
常用漢字
小6
部首:⼧
8画
祇
漢検準1級
部首:⽰
9画
“宗祇”で始まる語句
宗祇忌
宗祇抄
宗祇法師